「ペイン・コントロールね」
ティアが病室の壁にもたれ、口を開いた。
「何だそれ?」
ジャンはベッドに横たわり、点滴を受けている。御神苗は強制隔離され、拘束された上で今は別室で眠っていた。
その全ては魔女の差配によって行われた。御神苗を極秘裏のまま拘束し、意識を奪った手際は見事だった。
見る者によっては冷酷とも言える判断だった。
感情を露ほども見せずにやってのけるのが、魔女の魔女たる所以であった。
ティアは冷静に状況を判断する。
「無痛操作……暗示や催眠によって、体が感じる痛みを抑えることがある程度までは可能なの。訓練次第では痛みを全く感じなくすることもできるのよ。第一次世界大戦ではドイツ軍が実際に戦闘神経症の治療に催眠を使っていたらしいわ。体に対して長期的な誤魔化しは効かなくても、一定の時間、それもごく短時間ならば、完全な痛みの排除もおそらく不可能ではない」
「そんなことまでやらせてたのか……」
白い天井を見上げた。
もはやそれは人間ではない。痛みを感じないというのは体の異常を異常と認識しなくなることだ。
手足が折れようとも、与えられた任務を遂行するただの機械兵士。
「そうね、戦闘で受けた損傷を一時でも『無かった事に』できれば、兵士の生存率は高くなるんじゃないかしら。致命傷を受けない限り、動くことができる。手間をかける価値はあるかもしれない。実際、貴方にそれだけの怪我を負わせている。優だって完全な状態ではなかったのに、貴方と互角に戦った」
「ああ……少しでも油断したら殺られてた」
「ならばおそらく、優は他にも幾つかの暗示を同時に走らせているのかもね」
「それを絶つ方法ってのはねえのかよ?」
「きっかけがわからないから……何とも言えないわ。何かがトリガーとなって、あの『優』のスイッチが入った……」
「それがわかれば止められるのか?」
「確証はない。けれど、そのトリガーがわからなければ、また優は暴走する可能性が高い」
「クッソ……」
「だから貴方に現場の状況を詳しく聞いたのだけど。まだこれというものがはっきりしないわね」
「……待て、」
「何か思い出した?」
「現場の状況、だよな。それは俺の……状態も含まれるのか」
「そうよ。貴方、あの現場で撃たれたのよね?」
「ああ、後ろから狙撃されて……ただ掠っただけでまともに喰らったわけじゃないが」
「その瞬間を、優が見た?」
「見てたと思う。その後ちょっと呆けたような顔をしてた」
「貴方が被弾したシーンを見ていたなら、それがトリガーかもしれないわ。あの子は『身内が傷つけられる』ことによって以前もあの状態になった」
「今回も同じ条件だったっていうことか?」
「そうでしょうね。でも以前とは状況が違う。貴方は武装していて、全く無抵抗に撃たれたわけじゃないのに」
「……」
「後ろから、というのがキーかしら?」
「わからねえ」
「……とにかく、貴方が被弾したことが優にはショックだった。それで、精神に掛けていた錠が外れたという仮説はかなり有力に聞こえるわ。精神的なダメージを受けたオリジナルの優に代わり、もう一人の優が表に出てしまったとしたら……」
「……俺のせいじゃねえかよ!」
魔女は激昂するジャンを制止する。
「ジャン。これは誰が悪いという話ではないわ。悪いのはその偶発したタイミングと、強いていうならあの子のコンディションよ。精神的に弱くなるのは誰だってあることだわ。ただの不幸な事故よ。そして今はそれを嘆くべき時ではない」
ティアの声は冷静で、軟弱さを突き放すようだったが、ジャンにはそれがティアなりの慰めに聞こえた。
「……わかってる」
やるべきことがあるなら、全てやってみる。話はそれからだ。ごちゃごちゃと考えるのは向いていない。
「優を緊急避難的に拘束して催眠療法をかけてみる。うまくいけば、「元の」優を引っ張り出せるかもしれない」
「そんなこと可能なのか?」
「やってみるしかないわ。もし優が『もう出て行きたくない』と思っているなら難しいと思うけれど。あの子はそんなに柔じゃないと信じるわ」
「ティア……」
「ジャン、貴方には手伝ってもらうわ」
「何を?」
「そうね……、眠れる王子様を救う騎士役、と言えばいいのかしら?」
「……は?」
「貴方は囮よ。すぐに始めるわ」
魔女は冷徹な瞳で宣告した。


御神苗が眠るベッドの横に、簡易ベッドが設えられた。
ジャンはそこへ横たわる。
ティアがポケットから釣り糸のリールのようなものを取り出した。赤い糸がそこに巻かれている。
それを引き出し、片方の端を御神苗の手首に巻きつけた。
「これはただの糸。実際何の変哲もない、綿の糸よ。これが貴方の命綱になるわ」
その先に繋がったリールをジャンの手に渡した。
「どういうことだ……?」
「これから貴方を優の精神世界に沈める。この糸を手繰っていくの。そうしたら、優がそこにいる。この糸は絶対に離さないで。もし見失ったら、戻れなくなるわ」
「怖いこと平気で言うなよ……」
「貴方なら大丈夫と思うからこうするのよ。魔方陣を敷く方法もあるけれど、それには時間が足りない。あまりぐずぐずしていると、優の痕跡を見つけられなくなるかもしれないわ」
「……わかった」
「優を見つけたら、水辺を探して」
「水?」
「水辺は境界。世界と世界が接する出入り口になるわ。どんなに小さくても、少なくてもいい。水を見つければ戻れるわ」
「……随分アバウトだな」
「人の精神世界は千差万別すぎて、これという特定ができないのよ。入ってみなければ何もわからないわ」
「俺でいいのか。もっと他に……」
「貴方が適任よ。他の人じゃ危なくてこんなこと任せられないわ」
「……要するに、あいつを見つけて、取ッ捕まえて水を探しゃいいんだろ。んじゃちゃっちゃと行って来ますか」
ジャンは肩を回して関節を鳴らした。
「では始めましょう」

「気負わないで。眠りに落ちるように、ゆっくりと……息を吐いて」
ティアの声が次第に遠くなっていく。吸い込まれるように、意識のレベルが下がっていく。
「貴方で駄目なら、他の誰にも不可能だと思うわ。気をつけて」
その声を最後に、ジャンの感覚が全て閉ざされた。









 


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