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ゲリラ掃討戦も終盤だった。
弾薬もそろそろ尽きかけているが、相手の戦意がすでに感じられない。
後は残党を片付ければ終りだ。ジャンがそう思っていた時だった。
密林の中で、突然撃たれた。
咄嗟に「死んだな」と思ったが、そう簡単に死んでたまるか。まだ意識は続いている。
すぐに地面に腹這い、息を潜める。
サイレンサー特有の、カシュっという軽い音が聞こえた。常人には聞き分けられないだろう音。
戦場では感覚が何倍にも研ぎ澄まされて、可聴音域がかなり広くなっている。
長距離射撃。どこかに狙撃手がいる。遠い場所ではない。恐らく数十メートル内にいる。
この距離でピンヘッドできないなら大した腕の狙撃手じゃない。
一流の腕ならばもう死んでいた。被弾したと思ったが、弾は左腕を掠っただけだった。
もう一発が飛来し、すぐ脇の樹木に当たって弾けた。
それ程高性能のスコープを使っていないし、それを補う腕も一流ではない。
ならば時間を稼いで位置を特定し、背後から回り込めれば何とかなる。
このまま俺に引き付けておいたほうがいい。
近くにいるはずの御神苗を探す。ヤツも今の射撃を見ていたはずだ。
手に持っていた残弾の少ないSPASをスリングで背中に回し、代わりにサブマシンガンを携える。
アサルトライフルに対抗できる火器などすでにないが、それでも何もないよりはマシだ。
御神苗に援護射撃のハンドサインを出そうとして、俺は凍りついた。
お前が銃を持って佇んでいる。どこか呆けたように、空の一点を眺めたまま。
戦闘領域の中でお前が見せる姿とは思えない。
狙撃される。撃ってくれと言っているようなものだ。
「御神苗ッ!!」
お前の足元には悪夢のように堆く死体が積みあがっている。ゆるりとお前が首を巡らせ、俺に気付く。
それから笑う。
楽しくてたまらない、子供のように。
俺は潜んでいたブッシュから飛び出し、御神苗に向かって走った。
死線の淵で
銃声は、乾いた音で優を貫いた。
硝煙の臭い。
ゆっくりと世界が回転する。
呼吸をしようと口をあけると、どぷりと重い液体が溢れた。
あぁ、罰が当たった。これは正しく因果応報だ。
狭まりゆく視界の中で、金色の髪だけが鮮明に見えた。
(ジャン、)
名前を呼ぼうとして、それすら音にならないのがもどかしかった。
血液が酸素の代わりに肺を侵食していくのがわかる。
ジャンがこちらに駆け寄って、狂ったみたいに何か叫んでいる、でも何を言ってるのか優にはわからない。
悪ィ、またヘマした。
ダメな奴だな、俺は。
出来損ないなんだ。多分、最初から。
だからお前の言う通り、俺は何度死んでるかわからない。
…お前がいないと。
ザッ…ザザザザ、と壊れたブラウン管のようにノイズが視界を覆う。
音が消え、色褪せ、モノクロームになった世界で最後に見たのは、ジャンの面影だった。
そして完全な沈黙がやってきた。
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「どうなってるんだ、優の容態は!」
山本がだん、と強くテーブルを叩き、各々のコーヒーカップが少し弾んだ。
先程から誰も口にしていないそれは、空調の効いた室内で静かに冷めていく。
医療チームのチーフが沈痛な面持ちで口を開いた。
「ですから、私たちに出来ることは全て全力でやっています。危ないところでしたが、彼の負った傷自体は快方に向かっている。心電図及び脳波は安定し、自発呼吸も光への反応もある。しかし彼は目を覚まさない」
「どういうことなんだ、それは」
山本が詰問する。
「肉体的外傷よりも、問題は精神的なものである可能性が高い」
「精神的?」
「つまり彼自身が、傷を負い倒れる前に何らかの現象を見た、または体験した。その事によって『目覚めたくない』という意志が発生し、その体験を再生しないために、脳が一時的に彼を眠らせている、ということです」
「そんなことが…」
「飽くまで推察です。が、100%ないとは言い切れません。私も初めて見る症例ですが…」
「目覚めるのか、優は」
「わかりません。覚醒は明日かもしれないし、数年後かもしれない。その『体験』が何なのかわかれば、快復への糸口にはなるかもしれませんが」
「ジャン、」
山本が呼んだ。テーブルには付かず、ドア近くにもたれかかるように立っていたジャンが顔を上げる。
「任務中、何か変わったことはなかったか。何でもいい。いつもと違うことは」
負傷した御神苗を救出したのはジャンだ。任務中、常に同じ行動を取り、互いの背中を守った。
さっきから、いや任務から解放されてから今までずっと、考え続けている。
「わからねえ」
変わったことなどなかった。いつものように軽口を叩きながら出撃し、いつものように任務を遂行した。
いつも通りではなかったのは唯一、御神苗が撃たれた、その一点だけだ。
その前後に変わったことなどいくら考えても思い付かなかった。
「ジャン、よく思い出してくれ。お前は絶対にそれを見ている筈だ。お前がわからないなら、ここにいる他の誰にもわからない」
「ずっとやってる。けど思い当たらねえんだ。撃たれるその時まで、あいつに変わった様子なんてなかった」
優が目を覚まさないことは、まだ限られた人間しか知らない。
今ここにいる山本、ジャン、医療チームと、そして魔女。
「現状で私たちに出来ることは何もない、ということね」
それまで黙っていた魔女が口を開いた。
「ティア!」
山本が声を上げる。
「だってそうでしょう。これは優の心の問題よ。あの子が自分ではい上がって来るしかない。もしそれが出来ないとしたら、」
ティアはそこで言葉を切る。
彼女の言いたい事が、そのせいで逆に鮮明になった。
「…ティア、」
「なぁに?」
ジャンが何か言いかけて、思い直したように押し黙る。彼にしては珍しいことだった。
「何でもねえ。ちょっと時間をくれ。なんか思い出したら報告する」
そう言って、ジャンは部屋を後にした。
御神苗はまだICUに入れられたままだ。
境界線であるガラス窓から、ジャンは眠る御神苗を見下ろした。
何度も目にしてきた光景だ。傷つき、点滴の管と酸素吸入器に繋がれた姿。
なのに何度見てもそれは慣れることがない。
回復能力の高いジャンにとって、ICUは縁遠い施設だ。
だからジャンが負傷し、ベッドに繋がれ意識のない様子を、御神苗はあまり見たことがない筈だ。
一回やってみろ、とジャンは思う。
それがどれだけ辛く、息が止まるほどに苦しいことか。
見守るしか出来ないということが、どれほど歯痒くやりきれないか。
それを経験したら、これ以上こいつは不用意な怪我を負わなくなるのだろうか。
そこまで考えて、ジャンは自嘲した。
心配してほしいんじゃない。
御神苗は、どんな危険をも厭うことなく飛び込んでいく。
だからこそ自分がいる、危地において彼を助けられるのは自分だけだという自負と優越が欲しい。
だから、御神苗の負傷はジャンのプライドに障る。
(浅ましいな)
思い上がりだ、と自分の欲求を戒めた。
所有したくて仕方がないのだ。呆れるほどに。
傷つき、眠る御神苗を目の前にしてもまだそんなことを考えている。
(早く目を覚ませ)
早く目を覚まして、あの憎まれ口を叩いて欲しい。そうしたらきっと忘れるから。
この妄執にも似た恋に、押し潰されてしまう前に。
御神苗から視線を外し、そこを立ち去ろうとした時だった。
瞼が動き、揺らめくように開いた。
「御神苗!」
思わずガラスに近づき叫んだジャンと、御神苗の視線が合った。
知らない人間を見たような目。焦点が合い、次の瞬間ジャンの背筋をひやりとしたものが通っていった。
御神苗が笑った。
いつもの花が咲くような笑顔ではなく、どこか邪悪な影を宿して。
御神苗が目覚めたことは速やかに伝達された。様々な検査の結果、体のどこにも異常は認められなかった。
山本もその帰還を喜んでいる。
「杞憂でよかった。このまま目を覚まさないんじゃないかと気が気じゃなかったよ」
山本が涙ぐみながら御神苗の背中を抱いた。
彼は穏やかに笑みを浮かべている。
回復を喜ぶ、感動的なシーンである筈だ。
けれどジャンにはそれが、酷く不気味なものに思えて仕方がなかった。
違和感が拭えない。自分でも説明ができないが、あれは御神苗優ではない。
ジャンの知る御神苗は、あんな風には笑わない。あんな、獰猛には。
そう、ジャンはあれが何なのかを知っている。
以前にも見たことがあるのだ。
その時御神苗優の顔をしたそいつは、「43」と名乗った。