※原作と異なる設定がまま出てくることがあります。ご容赦頂ければ幸いです。


















 

 


長く暗い道を歩いていた。後ろを顧みても、その道程は見えない。
前を見てもそれは同じで、道標の一つもあるわけではない。
それが当たり前になるほどには歩いてきたが、ここから自分はどこへ行こうとしていたのか、それすら忘れてしまった。
ただ、ここへ来ることが目的ではなかったはずだ。
薄闇。どこかを目指して歩いてきたのに、それがどこだったのか、そんな場所が本当にどこかにあるのか、
それすらよくわからなくなるほどの。
 

 


やがて光が見えた。どこから差してくるのか定かではない。



けれど不確かな暗闇の中に差す、一条のか細き光芒。

 






paradise lost.
 




 

1


友達が死んだ。
見つかったときにはすでにこときれていた。この折の寒波で発見が遅れた。
心臓の疾患があったのだそうだ。しかし本人に自覚症状はなく、突然の死だった。

あっけなく、誰に看取られることなく。

あいつは最後に何を見たんだろう。

 


新しいスーツはなかなか身に馴染まず、居心地が悪かった。黒のタイ。鯨幕。
焼香に訪れる人の列は長く、途切れることなく続いた。
場内は暖房の効かせすぎで、酷く暑かった。人々のささめくような会話がそこここで聞こえた。
まだ若いのに。どうして突然……。
花で飾られた棺は遠く、彼の顔は見ることができなかった。遺影になった写真には、かすかに見覚えがあった。
あれは多分、夏のオリエンテーリングのだ。誰かと肩を組み、運動ジャージを着て、ピースサインを出して笑っている。
焼香を済ませると、後はもうできることがなかった。遺族は涙をこらえながら挨拶を続けていた。
頭を下げて、定型文のように決められた挨拶をする。でもこんなとき、それしか言える言葉はないのだ。

ロビーへふらりと出てみると、同級生が数人固まって低い声で話をしているのが見えた。そのうちの一人がこっちに気付く。軽く手を上げ挨拶する。
久しぶりだな。お前も来てたのか。最近どうしてんの? どうって、普通に大学生してるよ。単位取るのに必死。なんだっけ、あのバイトまだやってんの? 
ああ。そっちのが忙しい。お前も変わんねえな。 当たり前だろ、3年しか経ってねえんだぜ。
曖昧に応えて、どうということのない会話に終始した。皆着慣れない喪服に落ち着かな気だった。
葬式に出る、という行為に誰も慣れていないのだ。
死んだ友人は高校の同級生だった。卒業してからたったの3年。
劇的に何かが変わっている年数ではない。でも俺達はこうして雑談をしていて、あいつは死んでいる。
聞いたか? あいつ、何かの写真展で賞取った直後だったんだってよ……。ああ、そういや写真部だったっけ。
一人暮らしで、見つかるまでに結構かかったって……。うわ…。
切れ切れに後ろで話している声が聞こえた。それ以上聞くことができず、もう帰る、と友人達に告げる。
久しぶりだし、この後集まるけどお前もどう?
誘いを柔らかく断り、同級生たちの輪を離れた。またな。ああ、元気でな。また飲もうぜ。

静かにざわめくロビーを出ると、外は雪が降り始めている。通りで寒いわけだ。
駅に向かおうと思ったが、帰宅ラッシュの始まった地下鉄に乗るのが酷く億劫になり、タクシーを拾った。

……都内に初雪が観測されました。この日、気温は予想を下回り大寒波となっています。明日はさらに冷え込むでしょう。どうぞ暖かい服装でお出かけ下さい……

タクシーのラジオから流れる天気予報を聞くともなくぼんやりしていた。車道はぬかるみ、水音を立てながらタクシーは首都高へ向かう。
窓の外は一面のグレーで、そこに花のように牡丹雪が舞っていた。綺麗だな、と思って目を閉じる。
インターを登ると、高速道路の高低差のせいで空を走っているように見えた。
こんな景色を前にも見たことがあるな、と思った。どこでだったろう。

特別に仲がよかったわけではなかった。同じクラス。中肉中背で、運動は苦手だったが将棋が上手かった。
昼休みに学食の食券を賭けてはみんなから巻き上げていた。あいつの撮った写真は一度も見たことがなかった。
当たり前に受験し、当たり前に大学生になったのだ。そして当たり前に社会人か、写真家になるのが正しいコースだったはずだ。
単純にご愁傷様でした、と言い切るには近すぎ、何を考えて逝ったのか推し量るには遠すぎた。
気分が悪かった。切り替えた方がいい、と思ったが、そのきっかけが掴めなかった。
そういえばと気付いて、ずっと電源を切っていた携帯を生き返らせると、メールが何通か入っていた。
それを見て、苦笑が零れた。
短く返事を返した。今日初めて笑えたかもな、とふと思った。


駅前でタクシーを降り、少し買い物をしてから帰宅した。
ドアを開けると、脱ぎ散らかしたブーツが転がっている。予想通りだ。
キッチンに買い物袋を置き、タオルを持ってリビングに入る。暖房が暑いほど効いていて、体が解けるようだった。
傘を持っていかなかったせいで、髪が濡れてしまい、手足がかじかんでいた。
ソファに寝そべって、何かの本を読んでいたジャンがこちらを向いた。それから口笛を短く吹いた。
「物騒だな。出入りか?」とジャンが言う。
何だよ、と見返して、思わずもう一度ジャンを見た。
ああ? と不審気な目を向けられる。
ジャンが細い銀縁の、華奢な眼鏡をかけている。そのせいで威圧的な雰囲気が少し和らぎ、鋭角さが消えていた。
「お前、目悪かったっけ?」
「んー、最近なんか見えづらい」
「それ老眼なんじゃねえの?」
「ちっげーよ! 上手く見えねえから、作ってもらった」
ふうん、とへえ、の中間辺りの返事をして、濡れたスーツを脱いだ。その様子をジャンがじっと見ている。
「何見てんだよ」
「ダークスーツ着てるとこなんて初めて見た」
「そうか? 何回か着てるぜ、このスーツじゃないけど。式典やら何やら、たまにあるだろ。本部で」
「あるけど、俺ろくに出たことねえもん。つまんねえし」
「お前ほんとフリーダムだな。一応ギムなんじゃねえの……」
他愛無い会話だった。本当にいつもどおりの。
でもジャンは何気なくそうしようと、いつもどおりを作っていた。多分俺のために。

明日は二人とも任務に赴かなくてはならない。その準備のために早めに来ていたジャンが、そっちに寄るというメールを寄越した。会うのは久しぶりだった。
もう二人とも、最近は忙殺と言っても良いスケジュールを無理にこなしている。
人員は常に足りていない。頭数を増やせばいい、という単純な問題ではなかった。
任務をこなすメンバーは、常にスペシャルでなくてはならない。
そのためのバックアップ、入管や活動に伴う事務手続き、さらに後方支援と、ピラミッド型になった組織図の中で、膨大な人数が動いている。
一度失敗すれば、そのカバーのためにまた金も人も動く。全ての活動は一握りのスペシャリスト達が鍵を握る。
そして、それに応えるのが俺達の仕事なのだった。
体を冷やして風邪など引いている場合ではないのだ。それはわかっている。
最も火力の集中する前線で、少しでも油断すれば生きて帰れない。そんなところを何度も何度も乗り越え、涼しい顔で戻ってくる。
そのためだけに、どれだけの手間と時間と計画が消費されているかを考えれば、何一つ疎かにはできない。
俺とあいつの違いは何なんだろう、と考える。明日死んでもおかしくない稼業で、俺は今生き延びている。
その術と、自分の命にかかるコストを知っている。
それだけだ。

「つーか、部屋暑くねえ? 何度設定にしてんだよ」
「寒いのキライだし」
「子供か!」
ジャンを叱って、無造作に床に落ちたリモコンを拾うと、32度に設定されている。少し温度を下げ、加湿器のスイッチを入れる。
室内外の温度差で窓が曇って、水滴が流れた。
「……久しぶり」
ようやく挨拶みたいなものを口にしたときには、ジャンはもう眼鏡を外してテーブルに置いていた。残念。もうちょっと見たかったのに。
「ああ。お前、顔色悪いぞ。飯食ったか?」
口を開けば俺の体調を心配する。
「今日はまだ……朝早かったから」
「俺も腹減ってたんだ。何か食うもん作る」
「さっき買い物してきた」
「気が利くな。買い物行くにも寒くて面倒だったんだ」
「ここまで来るのは面倒じゃないのかよ」
苦笑して、ソファから腰を上げたジャンの後を追う。
「泊まるとこ手配すんのも面倒だろ。どうせ日本まで飛ぶならお前んとこ行くだろって前提で話進められてたし」
「山本さん?」
「そーだよあのオヤジ。俺に対してちょっと大雑把すぎねえ?」
「どうせ他の手配してあってもこっち来るんだろ」
「そーだけど」
つまらないことを喋りながら、キッチンに置いてあった買い物袋をジャンが拾い上げて物色する。
「お、鶏肉。お前何作る気でいた?」
「んー、カレー、とか。簡単に」
「チキンカレーもいいけどさー、鳥鍋は? 白菜あったらそれ」
「あったかな…」
「なきゃカレーでいっか。白菜ってフランスで買うと異常に高えんだよな」
「てか売ってんだ」
「ある。でも土鍋もねえしさー。たまに喰いたくなんだよな」
「あ、白菜あった。じゃ鍋にする?」
「するする。出汁ってあったっけ」
「こないだストックしてたのがあるかも」
ジャンは勝手知ったる、といった風情で冷凍庫を開ける。手際よく下ごしらえを始め、ざくざくと白菜を解体していく。
あっという間に鍋に設え、ことことと蓋が音を立て始めた。
俺は米をといだり洗い物をしたりして手伝った。
不思議なことに、料理の腕はジャンのほうがはるかに上なのだ。「誰かに食わせる」ってことをしてたかしてないかの違いだろ、とジャンは言う。
お前は何でも腹に溜まればいい派だろ。自分以外に食わせなきゃいけないってのはやっぱ違う神経使うぜ。
そんなもんか、と俺は思う。確かに俺は食に対して疎いかもしれない。好き嫌いもない代わりに、特別に好きなものもない。
食えるときに食う、種別は問わないというのが俺のスタンスだった。美食にも興味がない。
でも確かにジャンの作る飯は美味いのだ。
「塩どこだ?」
とジャンが言うので、塩入れのストッカーをよく見もせずジャンのほうへ差し出した。
ガシャン、と音がして、そのとき初めてジャンのほうを見た。
ストッカーが床に落ち、中身が零れ落ちていた。
「悪い。手元狂った」
ジャンがしゃがみこみ、片付けようとするので俺がさえぎった。
「いいからお前は鍋見てろって。そっちに残ったので足りるだろ?」
「……ああ」
ほうきで散らばった塩を集め、ざらざらする床を雑巾で拭いた。そんなことをしているうちに炊飯器が音を立てはじめ、鍋が仕上がったようだった。
なんとなく付けたテレビでは、お笑い番組の中で芸人たちがしきりに騒ぎ立てている。二人で鍋をつつきながら、「秘蔵」とジャンが言う日本酒を少しだけ飲んだ。ジャンはワインより日本酒が好きだという。おおっぴらに飲んで許される年になったとはいえ、俺にはそこまで酒の味は詳しくない。舌が子供だ、とジャンは笑う。ケチャップとファンタが好きだろ、お前は。その言い方は米の飯にもケチャップかけて食う人間みたいで嫌だというと、残った鶏肉でオムライス作ってやるから、といなされた。腑に落ちない。ファンタは好きだし、オムライスも好きだけど。

食卓を共にするというのは、俺にとっては結構特別なことだ。家族団欒というのにもあまり馴染みがないし、(もちろん秋葉ねーちゃんにもオヤジにも非はないのだが)そもそも食事を生活の中心に置くことがない。それをジャンはわかっていて、ここが美味い、あそこのあれが美味いと俺をいろんなところに連れて行く。
ジャンはフランス人の顔をした日本人なんじゃないかとたまに思うくらいだ。旬をよく知っていて、ミシュランなんか当てにならねえ、三ツ星のレストランより下町のちいさな割烹なんかの方がよっぽどいいという。でも内心俺は、ジャンの作る飯が一番美味いと思っていて、それは絶対言わないけれど、こうやって鍋なんかするのが楽しいのだ。お前に任せるとたまに取り返しがつかねえ、とジャンが悪態をつくのも仕方がない。何を食べるかより、誰と食べるかの方が重要なのだと悟ったのは、つい最近のことなのだ。

人間、腹が満ちると安心するらしい。俺はこたつでとろとろと眠りかけていた。明日は払暁から動かなくてはいけない。もうこのまま寝てしまいたかったが、社会思想史のレポートも、期限が迫っていたはずだ。俺の場合就職活動は無用だが(そのはずだ)級友はそろそろ焦り出している。俺はこのままなのかな、とふと思う。十年後も変わらず、このまま。
「変わること」が命をかけた命題だった時期がある。それは生まれ変わるにも等しいくらいの試練と、数え切れないくらいの傷を伴った変換期だった。もうろくに覚えちゃいない。それを経て、俺は今の俺になった。
じゃあ、この先は?
俺は、また何か別のものに変わるのだろうか?


「オ前ダケガ?」
「オレハモウ変ワルコトナク死ンデイルノニ、オ前ダケガ?」


はっ、と息を吸い込んだ。どこかに落下していく感覚だけが体に残っていた。死んだ旧友の声を聞いた気がした。
夢だと気付くのに時間がかかった。フラッシュバックのように、感触だけが生々しかった。見慣れた天井がそこにあり、見慣れたベッドに寝ていた。
いつもと違うのは、隣にジャンがいることだった。枕元に置いていた時計を見ると、蛍光表示が2:46を示している。
ジャンは規則正しい寝息とともに、俺の横で眠っていた。眠ってしまった俺をジャンが運んだのだろう。
激しく打っていた鼓動が次第に静まり、もとの脈拍に復帰していくのがわかった。
もっと、ちゃんと話せばよかった。今日何があって、どう感じたかを。久しぶりだったから、暗い話題は出したくなかった。
でも聞いて欲しい話があったのだ。俺のエゴだとしても、ジャンは気にせず聞いてくれただろう。
俺は子供だ、と思った。人はこういう夜をどうやって過ごして、どうやって越えるんだろう。
大人になれれば、そんなこと大したことじゃない、と言えるのだろうか。

暖かいベッドを抜け出した。裸足のままフローリングを音を忍ばせて歩くと、冷え切った床へと体温が逃げていく。
汗で湿ったシャツを脱ぎ、洗濯したばかりのTシャツに袖を通した。その上からニットを羽織る。もう眠れそうになかった。多分、あと一時間くらいは余裕があるはずだ。
嫌な夢を見た。俺は夢見が悪い。そんなことにはもう慣れたはずなのに、時々どうしても眠れなくなるときがある。さっき見た夢はその予兆だった。
多分これから1週間くらいは上手く眠れないだろう。
仕事さえしていれば、体を酷使し続ければ、精神より先に体が睡眠を求める。余計なことを考えなくて済む。
これじゃ仕事が精神安定剤みたいだ。
キッチンでお湯を沸かした。ケトルがかたかたと音を立てる。ガスを止め、マグにお湯を注いだ。インスタントだったが、コーヒーはいい香りがした。
出し抜けに上から何か降ってきた。ばさり、と頭にかぶせられたのはブランケットだった。
「俺にも」
ジャンだった。俺はもう一つマグを取り出して、コーヒーを淹れた。
「何か、あったのかお前」
マグを手渡すときに、ジャンが訊いた。帰ってきてから様子がおかしいとは思っていたようだ。わかっていて黙っていたのだ。なんとなく罪悪感を覚えた。
大したことじゃない、と言おうとして、声が詰まった。
だから言うのをやめて、「友達が死んだ」と本当のことを言った。
ジャンが無言のまま先を促した。
「葬式に行ったんだ。同級生だった。特別仲がよかったわけじゃなかった。でも、なんで……普通の生活をしてたはずなんだ。なのに、心臓が壊れたせいで、死んだんだ」
仕方ないって言えるほど遠くなくて。何もできないと悔やむほど近くはなかった。
「先に言えよ。なんで黙ってた?」
「……お前に言うようなことじゃないと思った。大したことじゃないって……暗い話はしたくなかったんだ」
「でも眠れてなかっただろうが。大したことじゃなくても」
バレてた。全部。どうして俺はこうなんだろうな、と自嘲した。もっと上手く、出来たらいいのに。大人のやり方で。
俺はいつまでたっても子供のままだ。
「なあ、俺らって、つきあってんだろ」
しかも結構長く。とジャンが言う。まるで溜息をつくように。
俺は顔を上げてジャンの顔を見た。
「そういうことは言えよ、俺に」
マジ腹立つ。と言いながら、ジャンはコーヒーを一口飲んだ。
「だって、お前はそういう話しないだろ、俺に」と言い返す。
「俺はお前の友達とか、別の付き合いとか、何も知らない。不公平だろ」
ジャンは俺のほうを見ずに髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「別に、知りたきゃ聞けよ。隠したいわけじゃない」
どうしてこうなるんだ、とでも言いたげに。
「俺とお前は違う。俺だってお前が眠れなくなったり様子がおかしくなきゃ根掘り葉掘り訊かねえよ」
テーブルの上で、湯気を立てていたコーヒーが冷めていく。
「お前は昔からそうだ。他人のことでぐちゃぐちゃ悩む暇があんならてめえの足元ちゃんと見ろ。仕事に支障出したりしてみろ、てめえ一人の問題じゃねえんだよ!」
「わかってるよそんなことは! だから言いたくなかったんだろ!」
知っていることを言われて頭に血が上った。だって今更変えられない。どうしようもない。そんなことお前が一番知っているくせに。
そしてそれがジャンに対する俺の甘えだということも。
嫌というほどわかっている。
ジャンはさらに言葉を重ねる。
「じゃあ心配させんな! 所詮他人だろう、ガタガタ騒いでもどうしようもねえだろうが。お前が揺らぐと士気に関わんだよ。わかってんだろうが!」
他人。他人ってなんなんだ。仕事さえまともなら、あとはどうだっていいのか?
怒りが膨らんでいくほどに、頭の芯が硬く冷えていく。
「お前はいつも……冷静だな。そうやって澄ましてればいいのか、俺も。おろおろ悲しんだりしないで、どうでもいいって言えれば偉いのかよ」
ジャンは言い返さない。こうなった俺に何を言っても無駄だと知っている。諦めたようにこっちを見ている。
「お前のそういうところが嫌だ。どうしてそんなに割り切れるのかわからない。昔からずっと」
俺はそう言った。嘘の一つでもつければいいのに、思ったことは直結で口から出て行く。
ジャンは静かに言い捨てた。
「俺もだよ。付き合いきれねえ。勝手にやってろ。ガキが」
俺は多分切れた。マグを叩きつけて、後ろも見ずにキッチンを出た。酷い音がした。
ドアが閉まる。
時間切れなのかもしれない。俺とジャンの? 一瞬そんなことまで頭をよぎる。
どうなるのかなんて考えていなかった。ただ無性に悔しかった。
本当のことを言われたからだと、分かっていたから。


けれどあとでどれだけ後悔することになるかを、そのとき俺は全然分かっていなかった。
俺が部屋を出て行くとき、ジャンがどんな顔をしていたか、何を思っていたかなんて。
何も。





そしてジャンを見失ってしまうまで。




















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