夜の底、子供たち (ver.J)








 


目付きの悪ィチビだな。
最初に会ったのがどこだったか、もう忘れてしまった。
けど、最初に思ったのはそんなことだった。

「この間スプリガンになったばかりの御神苗優だ、ジャン。宜しく頼む」

紹介されたのは黒髪の子供。
ああ?オミナエ?知らねえよ、新人なんか面倒臭ェ…。そう思った。
俺の前に立ったガキはまだひ弱で、即戦力にはとても見えなかった。
けれど、その容姿は自然に人目を引いた。

しかも、初対面であいつはいきなりガンつけてきやがった。
いい根性してんじゃねーか、チビ。そう言ったら、0、2秒後に殴り合いになった。

熱血野郎。感情の起伏が激しい。周りが見えなくなって窮地に陥りやすい。単純バカ。

いつも戦場と化す遺跡で同じ任務についていれば、次第にそんなことがわかる。
まあとりあえず、使えねえチビではないことは認めてやるよ。
そう言ったら、あいつは「撃たれても気付かねえ不感症なんだろ、てめーは」なんぞと言うのでまた殴り合いになった。

全く、口の減らねえガキだ。


そう思っていたのだ。本当に、ついこの間までは。

 


「ジャン!」

呼び止められ、振り向くと背後にいたのは魔女だった。
任務を終え、くたびれ果てている時に出来れば会いたくはない相手だ。

「なんだティア…疲れてんだ、用件なら手短にしてくれ」
「あら、ご苦労様。すぐ済むわ。優を知らない?」

その平淡な口調に、俺は頭を抱えた。

「あのな…俺は今帰って来たとこで、一秒でも早く寝てぇんだ。このビルにアイツがいることも今知った。悪いが期待には添えねーな。大体アイツの居場所なんて、アンタの魔法で全部お見通しなんじゃねーのかよ」

「そんなことないわ。魔法は万能じゃないのよ。優、訓練中に少し様子がおかしかったから…もし見つけたら、私が探してたと伝えてくれる?」

「あー、ハイハイ。見つけたらな。ちっさくて見つけらんねーかもしんねえけど」

投げやりにそう言うと、ティアはふふっと苦笑した。

「…何だよ」

「いいえ。貴方にしてはとても珍しいと思ったの。他人に興味のない貴方が、優には興味を示すから」

「…アンタ目玉腐ってんのか?どこをどうしたらそうゆう結論になるんだ?」

「気付いてないならいいのよ。じゃ、ゆっくりお休みなさい」

ティアはあっさり踵を返し、エレベータホールへ向かって行ってしまった。
残された俺は、まるで熟したトマトでも投げ付けられたような気分で、ひとまず常用している仮眠部屋へ向かった。


通常ならば、もう少しマシなホテルにでも投宿するのだが、そんな手続きの時間すら惜しむ程に疲れていた。
情報操作の連携ミスで、避けられた戦闘に身を投じることになったのだ。
精神力と弾薬ばかり消費する、無為な争いだった。
戦闘に対する忌避はない、けれど徒労と言ってもいいような状況はごめんだ。
勝利するのが当たり前ではあるが、そのお膳立てまでは俺の仕事じゃない。

鉛のように重い身体を引きずって、ベッドに投げ出そうとした、その一秒前。
いつものベッドが何かおかしいことに気付く。

「…?」

シーツが丸まって、膨らんでいる。まさかとは思ったが、そっとシーツを引っ張り、めくってみた。
御神苗だった。

「……、」

溜め息が出た。

そもそもこの仮眠室は、職員であれば誰でも使える場所だ。
しかし、暗黙の了解というものは少なからずある。
いくつかの部屋のうち、ここは俺がいつも使う部屋で、他人が使うにせよここは避けて通る。

なのに、よりによってここを使うか?俺は奴を追い出そうとして、片膝をベッドに乗り上げた。
軋む音がして、マットレスが沈み込む。

それからふと御神苗の顔を覗き込んだのは、ただの好奇心だ。
好奇心が何を殺すのか、俺はよくわかっていなかった。

御神苗の閉じられた瞼。
ガキだガキだと思っていたが、その生意気な眼光を宿す目を閉じれば風貌はさらに幼い。

そして、見てしまう。頬を伝って音もなくシーツに吸い込まれ消えていく涙を。

御神苗は眠りながら泣いていた。頑是ない子供のように。

叩き起こして引きずり落としてやろうと伸ばした手は行き場をなくして、その癖のない髪に触れた。

さらさらとした触感が、手によく馴染む。

「……ぅ…」

小さく声を上げ、起きるのかと思ったが瞼は開かない。眉根を寄せたまま、きっと悪い夢を見ている。

可哀相に、などと思ったのはほとんど初めてだった。
そんな時どうしたらいいか、マリアが言っていたことをふと思い出した。

(泣いている子を見たら、ただ撫でてあげればいいの。ジャン、アンタは泣かない強さを持っているけれど、それだけが強さじゃないのよ)

あの時は言われた意味がよくわからなかった。

でも今ならわかる。
俺は御神苗に触れたまま、その小さい頭を撫でた。ゆっくり、もう大丈夫だ、と思いながら。

すると、次第に御神苗のしかめられた眉間が解け、規則正しい呼吸がそっと戻った。

このまま、涙も乾けばいい。
こんな冷たいベッドの中で、誰にも知られずに消えていく涙なんて、お前は流さなくていい。

そこまで思ってから、自分が何をしているのかに気付き、我に返った。

何だ、これは。こんな事、俺の役目じゃないだろう?誰か他の、もっと適役がいる筈だ。
例えばあの眼鏡の女とか。

慌てて手を引こうとした。
一体何をしているんだ俺は?

動揺する気持ちを抑え、そっとベッドから出ようとした。
しかし、それを止めたのは御神苗だった。

いつの間にか御神苗が俺の手を掴んでいた。そして呟く。

「…かな…、………て…」

起きたのか、と一瞬思ったがそうではない。
相変わらず寝息を立てたまま、熱を帯びた頬を俺の手に当てた。
何を言っているのかわからず、顔を寄せた。

「…か…い…、………」

いかないで、そばにいて。


御神苗の口から漏れた、無意識の言葉。俺の手を握るその熱。

何かに操られるように、気付いたら口走っていた。

「どこにも行かねえから、安心しろ」

御神苗が、ふわりと笑んだ気がした。

 

 


結局、俺は御神苗の横でまんじりともせず朝を迎える羽目になった。

御神苗の野郎、起きたら覚えとけ。

 


「ジ、ジャン……!!?」

目を覚ました御神苗の動揺ぶりは、まあちょっとした見物ではあった。
何でこんなトコにいんだよ!!と叫ぶ御神苗を殴ってから、俺はもう一度そのベッドに沈んだ。

柔らかに降り注ぐ朝の日差し。夕べの出来事は多分、出会い頭の事故のようなものだ。
見てしまったものは仕方がない。

あの夜の底で、助けを呼ぶみたいに「行かないで」と呟く御神苗と、今光の中にいる御神苗は、まるで違う生き物のように見えた。

「御神苗、」

迷い込んだ野良猫に名前を付けるみたいに、御神苗の名を初めて呼んだ。
ほとんど眠りかけながら、俺は言ってみる。

「……もう泣くな、」

それを聞いた御神苗が、振り向いて俺を見たように思った。
そして、俺の意識はそこで途切れた。

 

俺の見てねえところでなんか、泣いてんじゃねえ。なんか調子狂うだろうが。
てめーは俺に勝てなくて悔し泣きする位でいーんだよ。
わかったか?

 

この日を境に、「ガキ」から「御神苗」へと呼び名を改めてやることにした。


感謝しやがれ。









 



END

















20080621