甘い爪先

 

 

 

爪の先、噛んだらチェリージュレの味がする。

 

 

 

 

 

「なあジャン、」
「ああ?」
「コレぜってー失敗な予感がすんだけど」
「お前ふっざけんな、なんでこれだけのレシピで失敗すんだよ!」
「だってわかんねーもん!火加減調整なんてやり方書いてねーじゃん!」
「そこは感覚だろ感覚!」
「そんなん知るかよ!あーあ、グズグズになった〜」

銃火器を持たせれば一分の無駄もなく調整してみせる癖に、ガスコンロ相手に無惨な惜敗を喫するスプリガンが一人。

「ヘタクソ。」

ジャンのその一言で、御神苗は完全にヘソを曲げてしまった。


発端は秋葉の置いて行った雑誌だ。
それを見るともなく眺めていたジャンが、「これが食べたい」と指をさした。

ジュレドフリュイ。夏のデザートだ。

「食べたい」
と譲らないジャンに、御神苗は渋々キッチンに立った。
普通の食事なら、御神苗はそこそこ作るのだ。そこはジャンも認める所ではある。
しかし、デザートとなると勝手が違った。

御神苗が残して行ったミルクパンを眺め、ジャンは煮崩れてしまったチェリーを、スプーンですくって一口食べてみた。
「…食えるな」
透明感が命のゼリーとしてはもはや致命的だったが、ジャムのようにチェリーはとろりと口で溶けた。
見た目はともかく、味は悪くなかった。

 

「御神苗、」
呼んでみる。リビングのソファの上で御神苗は本を読んでいて、こっちを向かない。
「おい、そこの料理音痴」
さらに呼んでみる。振り向かないまま、御神苗の怒りオーラが少し増した。
ここで笑って吹き出したりしたら、きっと絶対に振り向いてもらえない。

どうしたらコイツを振り向かせられるだろう?
少し考えて、ジュレの入った小鍋に指を突っ込んだ。
「熱っ、」
声を発したのと同時に。御神苗がぱっと振り返ってジャンを見た。
「火傷した。」
しれっと言うジャンを、御神苗がにらみつける。
「何やってんだよ!?」
「呼んだらこっち向けよバーカ」
まるでお前が悪い、と言わんばかりにジャンは言う。
反射的に振り向いてしまった御神苗は自分の迂闊さを呪った。

「痛ェ」
「…っ、知るかよ! つーか速攻治ンだろてめーの場合!!」
「舐めて、」
「は!?」
「ゆび。」

反論される前に、赤いシロップを御神苗の口元になすりつけた。

「…っ…!」
驚いて少し開いた唇に、ジャンは指を捩込む。
何かをくわえている図、というのはどうしてこうもそそるのかと考えているうちに、少しやりすぎた。

「いってェ!!」
御神苗に指を噛まれたのだ。
「テメー、何しやがる」
「こっちの台詞だ!! 熱くねーだろコレ! 下手な小芝居打ちやがって…」
「引っ掛かったじゃねえか」

むっと膨れる御神苗に、こらえきれずにジャンは笑い出す。

可愛い。馬鹿みてーに可愛い。

俺も大概イカレてる。ジャンはそんなことを思って、御神苗の襟元を掴んで引き寄せた。
御神苗の口の端についたシロップを舐め取る。
「ジ…っ、ジャ…やめ…っ!」
「うるさい」
デザートを食いそこねたのは誰のせいだ。

そのままキスに雪崩れ込もうとしたら、反撃を喰らった。チェリーを投げ付けられたのだ。
チェリーはジャンの頬に当たり、べし、と潰れた。
「てめえ…」
「フン、当然だろ!!」
ギラ、とジャンの目が光る。
そこからチェリーの銃撃戦になった。


もう投げるチェリーが無くなって、服も顔もベタベタになった所で、とうとう御神苗が根負けして笑い出した。
「ふ…くくく」
もう床にもソファにもいたる所に赤い色が散っている。
ジャンの髪にも、顔にも。さっき思いきり至近距離から狙ったせいだ。

あの火傷の小芝居を、自分の気を引くためにやったのかと思うと、自然に笑いが込み上げる。

(バカなジャン。俺なんか相手にしたって、得るものなんかないのに)

御神苗は床に寝転んだままジャンの髪を少し引っ張った。
それから面倒臭そうに顔を向けたジャンの、口元にキスしてみた。

「甘…っ」

口中に広がった甘さに、御神苗は唇を舐めた。
ジャンの好きな味なんか、もう知っている。
指に付いたシロップを拭くところがなくて、仕方なくぺろりと舐めとった。
「オイ、コラ御神苗。据え膳て言葉知ってるか?」
ジャンが不機嫌そうに唸る。
「はあ?」
そんな日本語まで知っている辺り、ジャンは相当変だ。
キスしたのに、どうして不機嫌なんだよ、と御神苗は思う。
「今のてめーだよ、」
「うわ、ちょ…!!」



 

笑いながら、二人で。

 

甘い甘いシロップの中で、窒息して溺れてしまいたい。

 


(なあジャン、)

どうして、どうやって、こんなキスを交わす仲になったんだっけ。
ついこの間のことなのに、もう思い出せないくらい遠い気がする。
一番最初の始めから、お前と居た気がするんだ。

お前と会ったとき、お前は俺が大嫌いだったのにな?

 

 

(一体どんな魔法を使った?)

一人に縛られる、なんて考えてもみなかった。いつだって。
でも、今お前を縛って繋いどきたいのは俺の方だ。
飼い主と犬じゃねえんだから。

でも御神苗、お前になら、飼い殺されてやってもいい。

 

 

 

 


「姉ちゃんに殺される…」
天井を見上げながら、御神苗は呟く。
「…確かに。」
部屋はまるで惨劇の跡みたいになっている。
「ジャン、お前が掃除しろよな」
「はぁ!?」
「俺悪くねえもん」
「最初に投げたのはテメエだろうが!」

やいのやいのと言い合っているうちに、とうとう秋葉が帰ってきて、二人は大人しくお縄についた。

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 







 

20080629