marie

 

 

 

 

 


小高い丘の教会だった。
もうそこを守る人間はおらず、石造りの建物は荒れるに任せて廃墟と化していた。

空は薄曇りで、きっと夕方には雨になる。
時折、白い空を黒い鳥が横切って行った。

こんなサイレント映画を見たことがある、と優は思った。
恋人と二人、逃避行を重ねる。その終着点が教会なのだ。

前を行くジャンが、何を考えてこんなところに連れて来たのかはわからない。

辺りには誰もいない。当たり前だ、ここから都心部までは車で二時間もかかるのだ。
立ち止まって、ぼんやり空を見上げた。

もうじき日が暮れる。
遮るもののない、フランスの空。


「御神苗、」
ジャンが優を呼んだ。
優が近寄ると、ジャンはじっと地面を見下ろしている。
教会を守るように生い茂る、マロニエの木。その、根元を。

「この木がどうかしたのか?」
「ここに、埋まってる」
「…何が?」
「俺の、昔の恋人」
「…………、」

一瞬どんな顔をすればいいかわからなかった。

しかしジャンは悪戯っぽく笑った。

「嘘だよ。本体はあの街の墓地にいるから安心しろ」
あの街、とはジャンの故郷のことだろう。
「大事なものを埋めたんだ。あいつが死んだときに、ここに」


マロニエの根元は柔らかく、掘り返すのにそれほど苦労しなかった。
チョコレートでも入っていそうな、小さな缶が出て来た。てのひらに包み込めるサイズだ。

「まだ、あるもんだな」
ジャンが乾いた声で言った。

そっと箱の蓋を開ける。天鵞絨に包まれた、それは指輪だった。
「マリアの形見だ」

そいつに、やろうと思ったんだ。
初めて好きになった女に。

「でもマリアが死んだ後、そいつもあの街からいなくなって」

体が、そんなに強くなかった。療養のためにスイスへ行って、保養地で死んだ。

いい女だったのにな。
俺は何もできなかった。

そして指輪は彼女に手渡されることなく、埋葬された。
誰にも知られたくなかったから、街から離れ彼女が見たいと言っていた風景を探した。
その時の、あの気持ちを一緒に埋めた。
もう二度と、誰も好きになるもんか。
そんなものいらない。
そう思って。


けど、今そこを掘り返したらわかった。
もうあの時には戻れないし、それでいいんだって事が。

だから、


「お前にやる」


何故か、優は何もいえなかった。ありがとう? いいのか? どれも違う気がした。
だから黙って受け取った。

「別に、捨ててもいいぞ」
そっけなく、どうでもいいことのようにジャンは言う。
だったらどうして俺をここまで連れてきた? と優は思った。
どうでもいいなんて、過去を簡単に捨ててしまえるなんて、思ってもいない癖に。

「……捨てたりしねえよ。お前の、大事なもんだろ」
「もともと、そういうのは得意じゃねえ。後生大事に抱えてるなんて、性に合わねえ
んだ」
「じゃあ俺が持ってる」
お前の大事なもの。
「そうしてくれ。それ…マリアがな、」
「?」
「大事な人が出来たら、その子にあげたらいいって言ってた」

あんたは好きな子のために指輪を買いに行くなんて、絶対しなさそうだしねって。

マリア、俺にももう一度出来た。そんな奴が。

マリアはジャンの記憶の中で静かに笑っている。

そうだ、世界中の誰に糾弾されても。
もう仕方がない。

「俺はお前がいい」

優が答えずにいると、ジャンが焦れて言った。
「お前も俺がいいって言えよ。御神苗」
優は笑って、ジャン、それじゃプロポーズだと言った。

それから、悪態をつくジャンを、優は手を伸ばして抱きしめた。

 


「俺はしつけぇぞ。嫉妬深いし、束縛したがる。……それでもいいんだな」
「べっつに…今に始まったことじゃねーだろ、それ」
「るっせーよ。誰の所為だバカ」

 


きっと、陳腐なものの中に不変がある。
例えばチョコレートの箱に、或いは日々の囁きに。

安っぽく聞こえるのは、そうとしか表現できないからだ。
特別な言葉なんていらない。

約束。

あいしてる。そばにいて。

そんなんでいいんだ。

 


他のどこでもない、
お前といる、ここが世界の果てだ。


そんなどこにでも転がっているようなイメージの、けれど決して辿り着けない場所で。


優は映画のラストシーンを思い出そうとした。
あの後、二人はどうなったんだっけ?

けれど、記憶は切り取られたようにそこだけぽっかりと空白で、どうしても思い出せなかった。

出来れば、しあわせなまま終わっていればいい、と心から思った。

 

 

 






 

 

END

 

 

 

 

 

 

20080704

 





 

 

 

 


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