Rhetoric Gunfight

 






 

 


だだっ広い、資料室という名のこの部屋は、天井が高く採光率のよさから比較的よく入り浸るようになった。
どちらかと言えば図書室に似ているが、ここに司書はいない。

特に何をするわけでもない。
ぼんやりと天井を眺めたり、「nature」最新号をパラパラと読んだりするのが目下の趣味だ。
人も滅多に来ない。おかげでますます滞在時間は増えていく。
傍目から見れば、さぞ暇人に見えるだろう。
そう、実際俺は暇なのだ。

この間、仕事で有り得ないミスをした。
エージェントたちを危険な目に遭わせたのだ。それも俺が獣人化したせいでだ。
あろう事か、敵を殲滅し尽くしたあとにエージェント達に襲い掛かったという。
ティアが近くにいなければ、どうなっていたかわからない。
そして、その間の記憶は当然のように無い。

深く溜め息を吐いた。

そういうわけで、謹慎処分、もしくはそれに限りなく近い待機状態である。
戦えないスプリガンなんて、水のないプールのようなものだ。何の意味もない。

「馬鹿だよなー、ホント」

自分で言うとなぜか虚しさが倍増する、と思った。

クビかもしんねーな、と自嘲気味に笑う。
別にアーカムに未練はない、しかしここを出た俺に接触してくるであろう組織の事を思えば気も重くなる。
面倒臭い。

自制の効かない獣人。まあ穏当に考えても監禁の上実験対象、手に負えない場合は殺処分だろうな、と思う。
まあ、それが可能であれば、だが。

処分? 冗談じゃねえ。

…もう考えるのはやめよう。原因と対処法がわからない現状で、あれこれ考えても無駄だ。


煙草を吸いに外へ出ようか、と思っていたら、誰かが資料室に入って来た。珍しい。
どこのどいつだ、そんな物好きは。

「「あ、」」

顔を合わせた瞬間、同じ声が出た。
何故だか内心舌打ちをする。
できれば今は会いたくない人間ナンバーワンだ。

「なんでこんなとこにいんだよ…」
「そりゃこっちの台詞だ、新米」
「もう新米じゃねえよ!」
「へえへえ。で、何の用だ? 御神苗」

御神苗は膨れっ面で、渋々答える。

「課題が終わんねーんだよ…」

明日の4限に提出すんのに、とぶつぶつ言っている。
そーいや学生とか言ってたか。まあ、学業とスプリガンは普通、両立しないだろう。
おそらく前例などない。
御神苗は他の席もたっぷり空いているのに、わざわざ俺の前に座る。
レポート用紙の束と鉛筆をポケットから出して、なにやら書きだした。

「なあお前、本気でこの道行く気なのか?」

ふと気になって聞いてみた。候補生からようやく独り立ちしたとはいえ、まだまだ新米の域を出ない。
もし引き返す気があるなら、ここらがデッドラインだ。

「…当たり前だろうが」

御神苗は何をわかりきったことを、という顔だ。

「じゃあ学校なんぞ行ってる余裕ねえだろ」


酷い厭世感とともに嗜虐心が湧く。
こいつのまっすぐさは、へし折ってやりたい、と思うことがある。その濁らない目。
何も知らないんだ、まだ、こいつは。血の匂いも、人が焼ける光景も、何もかも。
今ならまだ、戻れる。


「遠足じゃねえんだぞ。生きるか死ぬかの任務やってて、課題があるからタイム、なんて誰も聞いちゃくれねえんだ。」


そうだ、そして俺みたいになるまえに、
はやくにげろ。


「子供はとっとと帰っておウチで寝てな」


言った瞬間、咄嗟に何が起こったかわからなかった。
殴られた、と思ったのは口の端に鉄の味がしてからだ。

「痛…ってェ」

顔面に貰うなんて、物凄く久しぶりだった。かろうじて無様に転ぶことは避けられた。
信じられない気分で御神苗の顔を見た。無表情に、俺を見ている。

「俺が冗談でここにいると思ってんのかよ、ジャン」

御神苗の表情は動かない。けれどだからこそコイツが怒り狂っているのがわかった。

「お遊びでここまで来れるほど甘くねえって、お前が一番知ってるだろうが!!」


言われて気が付いた。ああ、俺の八つ当たりか、これは。
そうだ、今の俺が一番知っている。
どんなミスを犯しても、落ち込むヒマなどない。立ち止まったら最後、奈落の底に落ちるだけだ。
俺たちは戻れない綱の上にいる。その存在意義と、プライドを賭けて。


口の端を袖で拭う。もう血は止まって、瘡蓋になっていた。

「……悪ィ、ジャン。痛いか?」

はっと御神苗が我に返ったように言った。

「別に。もう治った」
「早ェな、もうかよ」

御神苗が少しだけ笑う。
さっきの無表情より何倍も、そっちの方がいい。
それから、(なんだそれは)と思った。


ていうかこいつ、俺を心配してわざわざここまで来たんじゃねえか。普通のダチみたいに。
ったく、何が課題だ。バカじゃねえのか。
俺を心配するなんざ、百年早いんだよ。

 


倒れた椅子を戻してから、御神苗はまたレポート用紙に向かう。
さらさらと鉛筆を紙に走らせる、他の音は何もしない。




午後の光が高い天井から降り注いでいる。


静謐の中で、ふと天啓が閃く。

ああ、そうか、こいつか。

お前なら俺を止められるのかもな。俺の、息の根まで。

認めてないわけじゃねーんだぜ。
お前なら。

 

馬鹿は俺だ。やめておけと頭の中でサイレンが鳴る。

こいつは俺が、墓まで持っていく気がしていた感情だ。
とっくに殺したと思ってた。
しぶとく、まだ生き残っていやがった。
飼い主に似て。


誰も幸せになんかなれないなら、こんなもの要らないと思っていたのに。
一つだけ小さく息を飲んで、それから、


「御神苗、」


普通の声で呼んだ。

例えどんなに感情の波が荒れ狂っていても、俺はいつも通りのポーカーフェイスを装える。
それを今ほど感謝したことはなかった。
頬杖をついて、さもどうでもいいみたいに。


御神苗が目線を上げる、それが酷くゆっくりした動作に見える。

水の中みたいだ、と他人事のように思った。

 

 


さあ引き金を弾け、後のことはそれから考えればいい。

 

 

「好きだ」

 

 

本当に、比喩でなく言葉は奴を撃ち抜いて、声も出なくなっている。

 


俺は会心の一撃に満足し、さあ早く撃ち返せ、と微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叙述的銃撃戦
END













20080717