猫に悪戯








 

 

エグゾーストが俄かに響き渡った。生意気に、いいマシンに乗ってやがる。
それが音でわかる。御神苗は犬を可愛がるみたいにバイクを構っているようだ。
御神苗が帰ってきた。防音はしっかりしているこの部屋の中でそれが聞こえるのは、さっき換気しようと少しだけ窓を開けたからだ。
新居に引っ越したと聞いたのは結構前だったのだが、それきり訪れる機会がないままだった。
エージェントのセーフハウスは一箇所に定めず幾つか拠点を作り、それを短いタームで次々と移転していくことが望ましいとされている。
プライベートの中で居場所を押さえられてしまったらアウトだからだ。
御神苗や俺は面倒臭がってなかなかヤサを変えようとしないが(特に俺はリヨン近辺の下町から頑として動く気がない。
まあそれには色々理由があるのだがそれにしても、とは思う)今回のは当たりだな、と思った。
天井が高く、狭苦しさを感じさせない。日当たりもいい。微風にカーテンがさらりとそよぐ。
ほとんど家でのんびりするような暇はないのだが、それにしたって帰ってくる家は居心地がいいに越したことはない。

昼下がり、俺はアホのように床に伸びていた。たまの休みくらいこうしていたって許されるはずだ。
大きな窓からさんさんと注ぎ込む午後の光が暖かく、惰眠を誘った。

 

 

がちゃり、とドアが開いて、御神苗が部屋に戻ってきたところまでは覚えていたのだが、それから先の記憶があやふやだった。
温度が上がると眠くなる。ジャンは自覚もなく夢の世界へ飛んでいた。

 


xxx

 


「…………。」

でけぇ猫が部屋の真ん中で寝てる。

帰ってきた御神苗は思った。
ていうか、俺学校行ってきたのに。ここぞとばかりに勉学に励んできたっつーのに、何? このバカ猫。喧嘩売ってんのか?
蹴り出してやろうか、と思った。

久々に登校できたと思ったら、小テストと補講と課題の嵐だったのだ。
香穂たちがあれこれノートを貸してくれたのが幸いして、それほど時間はかからなかったのだが、残った課題は自分でやっつけるしかない。
気が重い、と思って帰ってきたらこの有様だ。心なしか眼が痛い。テキストばかり眺めていたからだ。
ほうほうの体で帰ってきたというのに。

留守中ひとんちに上がりこむのはまあ許すとして(いつものことだ)お帰りも言わずにぐうすか寝てやがる。
一体どうしてくれようか。

くそ、と毒づいたがそれも虚しく、御神苗は着替えようと脱衣所へ向かった。

顔を洗い、制服からパーカとジーンズに着替えて洗面台をふと見ると、何か見慣れないものが落ちている。
ポーチのような、何かの箱だった。拾い上げてみる。蓋を開けると、ばらばらと中身が落ちた。

それを見て、御神苗はニヤリと笑った。

「ええと、確かこの辺に……」
ごそごそと流しの下やら洗面台のボックスを開け、目当てのものを見つけ出す。

それからそっと大きな猫のいるリビングへ戻った。


ジャンは相変わらず眠りこけている。まるで自分の家かのような居座りっぷりだ。
御神苗はしゃがみこみ、ジャンの髪をそうっと撫でた。起きるかな、と思ったのだ。

「…………。」

気付かない。もうちょっと撫でてみる。が、やはり反応しない。
こいつ、これでよく俺のことバカにできるよな!? なんで起きないの!?
と内心思ったが、起きないならその方が都合がいいというものだ。

わしわし、と頭を撫でる。なんだか気持ちよさそうだった。そばにしゃがみこんで、じっと顔を見つめた。
するとジャンが寝返りを打って、御神苗の腰に手を回した。
ちょっと焦る。起きたのかと思ったからだ。
しかし依然としてジャンの規則正しい寝息はリズムを崩さない。体も脱力してる。
よしよし。子供にするように、ジャンの頭を撫でるなんてそうそうできることじゃない。

この髪は好きだなあ、と御神苗は思う。どうしてこんな綺麗な色なんだろ。
毛先に行くにつれ、だんだん色が褪せていく。プラチナで出来た糸みたいだ。
結構手入れをしていないことが多く、普段はばさばさのまままとめているが、きちんと手入れさえしたらベルベットみたいな手触りなのだ。
普段は意識的にしないが、御神苗はこれを触るのが好きだった。切るなとも言っている。
それを守ってなのかどうか知らないが、ジャンはある程度の長さに揃えるだけで、ずっと髪は長いままだ。
睫毛まで金髪なんだよなあ。
なんだか本当に金色の猫を撫でているみたいだ。
ジャンは目を閉じていると普段の険が取れて、優しい風貌の印象がある。

ずっと寝てたら大人しくてラクなのにな。綺麗だし。

御神苗はジャンの髪をブラシで梳かし始めた。この猫は放って置いたら全然毛繕いをしないのだ。
その辺を押さえてやるのが飼い主の義務である。
観賞用にもお勧め! とか独り言を言いながら、御神苗はせっせと作業を続けた。


課題のことはすっかり忘れていた。

 


xxx

 

 

ジャンがふと目を覚ますと、頭上で御神苗が何か書いている。
御神苗の膝に頭を乗せたまま、ずっと寝ていたようだった。
いつそんな状況になったのか全然覚えていない。

膝というか太腿の上が居心地がよく、このまま狸寝入りしていてもいいな、とちょっと思ったがそれはやめておく。

くああ、とでかいあくびをしたら、御神苗が「おはよ」と言ったので、「ぅあ」と返事をした。
外が薄暗くなっている。結構な昼寝だったようだ。

「よく寝てたな。課題一個終わっちまった」
「ぁア、お疲れ……」
「別に疲れてない。結構充電できた」
「ふーん……」

充電?

「ていうかお前、顔でも洗ってくれば? まだ眠そうだけど」
「あー……」

いかんいかん、全然頭が醒めない。久しぶりに完全にブラックアウトしていたようだった。
のそ、と起き上がって洗面所に向かう。夜まで爆睡してなくてよかった。
ジャンはばしゃばしゃと顔を洗い、半目でタオルを探し、ふと鏡を見た。


絶叫があがる。


御神苗はその声に死ぬほど笑い、床から動けない。


「ぶわっははははははは!!! それすっげー似合ってるから!! おうじさま!!!」

「てめえええええええええッ!!!!マジで殺す!!!」

「あはははははははははっ、ちょ、こっち見んじゃねえよ笑うから!!!ぶははははは!!!死ぬ!!!!」

「そのまま死ねええええええええええ!!!!」

 

ジャンの髪はさらさらのツヤツヤに輝いており、あろうことかスポンジボールがたくさんくっついている。
それを引き剥がすと、見事なブロンドのふわふわパーマが出来上がっていた。

 

 

スポンジボールはどうやら秋葉の忘れ物だったようなのだが、それを巡るジャンと御神苗の喧嘩は夜まで続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

END

 

 

20110119
トムとジェリー。