密室

 









滴る毒みたいだと思った。
それは甘くて、もう少しだけ、とつい手を伸ばしてしまう。甘いものなんか好きじゃないのに。
中毒症状が出ている。そして解毒薬は手に入らない。そもそも存在していないからだ。

 

 

廃人のような生活を続けている。窖の中の暮らしは意外に性に合っていたようだ。ここへ戻ってきて、もうどれくらい時間がたったのかよくわからない。多分、ひと月と少し。それくらいだ。
すっかり体力も戻っている。なのに外へ出たいという気が起こらないのは、ここの主がそうなるように仕向けているから。
それも責任転嫁だとわかっている。そういう思考をずっとしてきたから、いざそのシステムから乖離しようとしてもすぐには上手く行かない。
自分がこうも中毒になりやすい体質だとは思っていなかった。溺れる、アディクトする、そういうのは漏れなく快楽とセットになっている。だから規制されるのだ。薬も、煙草も、嗜好品の全ては。日常が破壊されるほどのめりこまないように。平穏に、安楽に暮らしていくために。
随分前に買った煙草のパッケージ。ジーンズのポケットに入っていたそれのフィルムを剥がして一本取り出した。昔少しだけ吸っていた名残。すぐにやめたのは、多分続けたらやめられなくなるとわかったからだ。煙草はすぐにやめたのに、そのほかのことは何一つやめることができない。やめなければいけない、と日毎にその思いは募る。こんなの長くは続かない。そのうち酷いツケがやってくる。早くやめておけばよかったと、そう思う時が来る。
いつか必ず。
久しぶりに吸い込んだセブンスターの煙は苦くて、どうしてこんなものを美味しいと思っていたのか今ではよくわからない。少し湿気ったフィルタを咥えたまま、頭の中をゆっくり回る毒を味わう。
ぐらりと体が傾ぐような気がして、目を閉じた。
血流に乗ったニコチンが全身を巡る。
組織が正常なことを確かめるために、時々吸う。手元になければ諦めるが、たまたま見つけたパッケージがあった。わざわざ買いに行くほどのものではない。これだって賞味期限が切れていないのか怪しいものだ。
眩暈がした。中毒者は自分が中毒になっていることを認めない。実際にわからないのだ、内部からでは。外からの目があって初めて中毒は中毒だと認識される。
ここにはそれがない。だから俺を中毒者だと糾弾する奴はいない。抑止力がないのだ。
なるほど確かにその自覚はなかった。

「何してるの、人のベッドで」
「……喫煙」
「見ればわかるよ、灰皿ないのにやめてよ」

九鬼が戻ってきて、小言を言う。
灰皿なんかなんだっていい。
もう一口、深く吸い込んだ。

「煙、駄目だっけ、お前」
「……別に、駄目じゃない。前はお前結構吸ってたし」
「そうだっけ」
「そうだよ。忘れたの?」
「すぐやめただろ」
「まあね」

そうだ、お前が来たから。これは必要なくなった。他に中毒するものができたから。
九鬼が持ってきたマグから湯気が立って、コーヒーのいい香りがした。
お前だってカフェインがなくなったら困るだろう。俺がいなかったら困るだろう。……多分。
でもこいつはカフェインほどには俺に中毒はしていないのかもしれない。だって前例がある。それも一度じゃない。
しかし俺も大概恨みがましい。いい加減にすればいいのに。
いい加減。適当。そう、適度に。クリーンに。何かに塗れることなく。
ははは。口に出して笑っていた。
……何かに中毒できない人生なんてクソみたいなもんだろう?

九鬼が訝しげな顔をして、俺の手から煙草を奪った。

「煙草でラリってるなんて、お前は中学生か」

それから火のついたままのそれを一口吸い込んだ。

「……不味い、」

不服気に呟いたから、俺は吹き出す。甘党のお前には向かない。俺は代わりに九鬼の持ったマグを奪ってコーヒーを飲んだ。カフェインとニコチンの合わせ技は間違いなく旨いのだ。上手く出来ている。

九鬼が煙草を持ったまま俺のシャツのボタンを外した。せっかく着たのに。九鬼は器用だ。何に限らず大体のことはやってのける。なのに同じ泥沼にはまりこんでいるのはきっと地が同じだからだろう。バカなのだ。俺と同じで。
俺はコーヒーを半分残してマグをベッドサイドに置いた。九鬼が仕掛けるより先に俺がキスする。
何度も何度も飽きずに繰り返す。九鬼がキスに応えながら、灰が落ちる前に煙草をマグに放り込んだ。じゅっ、と音がして火が消える。お前が一番そういうことを嫌うのに、俺はマグをちらっと見た。
その瞬間舌を噛まれた。
もう始まっている。
ニコチンが切れてから初めてそうとわかるように、イライラしていたのかと気づく。
足りないものを補充するように口付ける。慢性的な不足、どれだけしても足りないのがいっそ笑える。そう、お前が言うように、中学生でもあるまいし。
覚えたばっかの猿じゃねえんだ。
そう思うのに。
適度に、都合よく、手を汚すことなく。綺麗に生きていく、そういう器用なことはもうできないのがわかっている。もっと別の何かにハマったら、もういらなくなるのかもしれない。お前が、それとも俺が。
お前に会ったから煙草がいらなくなったみたいに。常に依存する何かを探して、盲目的に耽溺して。
それを失ったら禁断症状はきっと恐ろしく苦痛だろう。
多分俺たちには他の何かがあるべきなんだ、お互い以外の何かが。それが中毒であると断定する何かが、それを緩和する何かが。でもそれが見つからなくて、喘いでいる。安楽な方に逃げれば、待っているのは狂気の沙汰だろう。わかってる。

でも今は、それが間違っていると指摘する奴は誰もいない。それが幸福なことなのか、完全なる不幸なのか、俺にはもう判断がつかない。こんな生活はすぐに終わる。お前はまた俺の前からいなくなるのかもしれない。
そうなった時、俺はどうするんだろう。こういう思考をしながら体を重ねるのは危ないのがわかっていて、やめられないのだ。下らないことばかり考えて、行き詰る。

九鬼は表面上に出さないが、多分同じ事を考えている。ちりちりと煙草のフィルタが焦げるように追い詰められて、身動きができなくなっていく。
今は空白の期間だ。何かに許された、休息の時間。何をしてもいい、そういう時間。そう長くは続かない。
わかっているから余計に溺れるのだ。

何もかもどうだっていい、お前を好きにする以外は。今は、まだ。

苦いものと苦いものを重ねると、不思議と甘い味がする。それを飲み下して、もっとと強請る、浅ましいとわかっていてやめられない。いっそ手錠ででも両手を繋いで、監禁するべきだ。そう思った。
外が嵐なら、屋根のあるところに逃げ込めばいい。なのに嵐なのは内部だから、逃げ場がない。

深い吐息と浅い呼吸を繰り返して、また沈んでいく。嵐の真ん中へ。

それから、後で九鬼を手錠に繋いでやろうと思いついた。そういうのが似合うだろう、お前は。

 

 














 

20111126

ぐるぐるしているのは私がぐるぐるしているからです。
雰囲気のみで申し訳ない。(いつも)

セルフお題で連作。