幕間 2

 

















 

 

リビングに二人。竜座はクレイと一緒に先に眠ってしまった。
九鬼が新しいコーヒーのマグをテーブルに置いた。
「まあ、いい薬なんじゃないか? お前の辞書に節操って単語ないし」
「お前……人のこととやかく言えた義理かよ」
「さあ、どうだろう。覚えてないな」
「ほんっと……お前と付き合う輩に心から同情する」
「お前はカウントされないの、」
「俺はいいんだよ。別だろ。お前もそうなんじゃねえの?」
「まあね」
九子菜はそこでコーヒーを啜る。九鬼の淹れた、いつもの味。好みも知り尽くされていて、かつ彼好みに改変させられるくらいに。
九鬼とはそういう男だった。
自分から能動的に動くわけではない。だがいつの間にか手に入れている。
これと思った獲物がかかるのを何年でも待つタイプだ。自分には到底真似できない。
「お前は昔から食い逃げ専門だったよ」
そんな軽犯罪に例えるのはやめてほしい。どうせならもう少し高尚に、花泥棒とか。
「そんな綺麗なもんじゃないよ。手当たり次第って言って欲しいのか?」
思い切り顔をしかめると、頬の傷が少し痛んだ。



それにしても、と九鬼が言う。
「お前変わったな」
「何が」
「昔だったらお前はそんな傷を自分につけさせなかった。そうなる前に殺してた」
はっきりと言い切られる。
「人を狂犬みたいに言うな」
「だってそうだっただろう?」
お前が「良心の呵責」だなんて、お笑い草だと九鬼は言う。でもそうでなければ今日のことは説明がつかない。
あの男――近藤は、九子菜を傷つけて無事なのだから。
そう、今までだったら逆らうことなど許さなかった。飽くまで九子菜は彼の「上官」だったのだ。必要な駒として動かし、無能なら切り捨てる。
部下は上官に身も心も捧げるべきだ。その方が命懸けで必死になるし、それによって生き延びる確率が多少上がる。
だから翻弄したつもりはない。たまたまタイミングと相性が合ったから寝た。それだけだ。もし現場でそんな態度を晒したら、その瞬間に射殺していただろう。
使えない駒はいらない。必ずそれが足を引っ張ることになる。実際あの二人は競い合っていい駒になった。
そういう判断しかしていなかった。
「これが現場でなくてよかったな。後ろから撃たれても文句は言えない」
九鬼が皮肉そうに言う。
舌打ちで返す。まったく、自分より自分のことを知っているような奴と、どう対峙しろというのか。


「……お前、怒ってんの?」
ふと気づいて九子菜が言った。
「どうして?」
「……別に。なんとなく」
根拠は無い。九鬼の物言いが皮肉混じりなのはいつものことだし、それが気になるわけではない。だが九鬼の笑みに、どことなく険を感じた。
「怒ったらおかしいか? 赤の他人に家まで踏み込まれて、一悶着起こされて、あげく気に入りのティーカップが割れた。怒らない理由は?」
「……悪かったよ」
九子菜は素直に謝る。その責任は100%九子菜にあるのだ。過去の自分に。
実際あの頃は九鬼とはずっと離れていて、自分が本当に不安定だったことが今ならわかる。他人がいて初めて気づくなんて。
「お前がいなかったら、俺はもうとっくに死んでるだろうな」
後ろから撃たれて、と苦笑交じりに呟く。


そしてきっと、自分は撃たれた事にしばらく気づかないかもしれない。活動を続け、体が動かなくなり、そしてようやく倒れる。
九子菜にはそういう傾向がある。当たり前の、恒常性を理性で支配することができる。死の否定と言ってもいい。一時的にではあるが。拒絶することで肉体を動かす。
人間の体から発される痛みは警告だ。危険への。九子菜にはそれを無視できるゾーンがある。限界を超えて、動き続ける方法を知っている。
九鬼はそのストッパーとしての痛みを代わりに感じる。逆もあるが、九鬼の痛みはまた種類の違うものだ。
説明しにくいが、例えば猫が路上で轢かれて無残に死んでいるのを見る。凄まじい痛みが脳を支配する。
それを九子菜が引き受ける。相互システムになっているのだ。痛みを感じる部分がそれぞれに違い、そのために命を拾ったこともある。
フィードバックとフィードフォワード。経験則と未来予測、その二乗。
時折、九鬼のことを菩薩のようだ、と思うことがある。人はあんなに簡単に殺すのにも関わらず。
どうしてこんなシステムが構築されてしまったのか、それは永遠の謎だ。だが謎は謎だから魅力があるのだ。
GEAのように謎を解剖して暴きたてて、何が残る? 今俺は生きていて、九鬼がいて、竜座がいる。
他に何が必要だ?


「俺も痛いってこと忘れてないな、正臣」
「わかってる」
「それにしてはなんとなくお前が笑ってるように見えるけど」
「……笑ってんだよ、悪いか」
「反省を促したいな」
「そんな怒るなよ。わかってるって」
お前が俺をそう思ってることは。
「……そう言う意味なら、殺そうかと思ったよ」
九鬼が言った。
「突然入ってきて、お前を殴るなんて意味がわからない。領域侵犯されたも同然だ。俺にはあいつを殺す権利があるだろう? お前は俺のものなのに」
「……まあ、そうかもしれないけど」
実際俺が悪かったんだし。多分、誤解も解けたと思うし。と九子菜はもごもごと珍しく歯切れ悪く言った。
「どうかな? 相当お前に執着してるように見えたけどね」
「そんなことは……」
「じゃあ、矢崎くんにその矛先が向いたら?」
「殺す」
ほらね、と九鬼はにやりと笑った。悪人だ、と思った。わかってはいるが、こいつは俺とは別の意味で本当にタチが悪い。



多分、こういう関係は危険なのだろう。独占欲が何にもまして優先される。しかも単一ではなく、複数になっているから守るものが増える。
それはいいことなのだろうが、庇いあって自滅する可能性が高くなる。
可能性を数字で考えるのは九子菜の悪い癖だった。0,1%でも可能性が高ければそちらを選ぶ。
だがこの場合選ぶことが出来ない。今まではよかった。九鬼を選びさえすればよかった。だが今は竜座がいる。竜座と九鬼はすでに九子菜の中で必須条件だ。
「じゃあ、一つ協定を作ろうか」
見透かしたように九鬼が言う。
「どんな、」
「お互いを庇いあって、それで傷ついても、それを気に病まない。お互い様だから。生き延びる可能性が高い方が残る。どう?」
「お前がそれを言うか……」
「おかしいかな」
九子菜は苦笑した。かなわない。多分九鬼と戦っても勝てないだろうが、九鬼は違うかもしれない。
それは計測不能な、一つの可能性だった。
厄介なドッペルゲンガー。きっと一生こうやっていくのだろう。何かを、全てを、共有しながら。
でも、こいつとなら仕方ない。もう手遅れだ。ずっとこうやってきたのだ。これからもそうなんだろう。
確かに、俺は変わったのかもしれない、と九子菜は思った。
その後にしたキスは共犯の約束だった。
こうやってひとつずつ束縛が増える。そんなもの、欲しいと思ったことは無かったのに。いつのまにかそれが心地よくなっている。
一番最初にしたキスを思い出す。あれは束縛どころか呪縛と言ってもよかった。ほとんど悪魔的な。
それを思い返して笑うと、九鬼に下唇を甘く噛まれた。

 

 

 

 










 

 

20111002

 


つづいた。
二人が一緒にいる理由。かつ感覚の共有設定その2。
るかさんちの「最終兵器眼鏡」こと九子菜さんの「眼鏡の日2」にインスパイアを受けてというか、3次創作というか。
おかげで過去捏造する羽目になり俺涙目。過去編はそのうちやります。
だんだん九子菜さんまでおひめさまになってきた気が……九鬼最強すぎ。