幕間 1














 

教会の前庭の石畳を、誰かが歩いていく。酷く動揺した足取りだった。あの二人の足音じゃない。あのひとたちはあんなに感情を表に出したりしない。
誰だろう?
裏庭の芝生で、クレイと昼寝をしていた竜座は体を起こした。胸の上でぐうぐう寝ていたクレイが、滑り落ちそうになってちょっと唸って抗議した。
ごめん、と謝ってから、竜座はクレイを抱いて立ち上がった。もう太陽は傾きかけている。
かろうじて見えたのは、その後姿だけだった。男の人だ。
足元を吹きぬけた風が冷たく、竜座は少し身震いしてクレイを抱きなおした。

部屋に戻ろうとして、リビングの扉を通り過ぎてから立ち止まり、もう一度リビングの中を覗き込んだ。
「ど、どうしたんですか……!?」
ソファの上で、九鬼がかがみこんで九子菜に手当てをしている。顔だ。九子菜の頬の上に大きなガーゼが貼られていた。
九子菜は物凄く不機嫌そうに片眉をしかめた。
「ああ、矢崎くん。別になんでもないよ」
代わりに、と言った風に九鬼が答えた。
「自業自得だよ。しばらく機嫌が直りそうにないから、放っといてやって」
救急箱を閉めながら九鬼が言う。
九子菜は黙ったまま、ソファの背もたれに埋まった。
にゃあ、とクレイが興味を失ったように竜座の腕から逃れる。身をよじって床に着地すると、飄々とどこかに消えてしまった。
手持ち無沙汰になって、でも九子菜の傷が気になりおろおろしていると、九子菜が口を開いた。
「竜座、ちょっと」
「は、はい?」
こっちに来い、と手招きする。恐る恐る近寄って、顔の様子を確かめる。
覆われたガーゼでよくわからないが、耳元から鼻筋に向かって傷が走っている。
「誰がこんなこと?」
「いいから、こっち来いって」
腕を引かれて九子菜の足の間に納まった。背中を九子菜にくっつける格好で、竜座も一緒にソファに埋もれる。
「……?」
九子菜は竜座に構わず、黙って竜座の耳元に顔をすり寄せた。
「あー。お前、絶対なんかイオン出てる。マイナスの」
「はあ……」
僕は家電じゃない、と思いつつ竜座は九子菜の様子を伺う。
「……九子菜さん、なんか凹んでます?」
「……」
黙秘する気か。しかし黙ったことにより、図星だったことが伺える。
「九子菜さんでも凹むことなんてあるんだ」
「……うるせえな」
竜座は体を捻って、九子菜の顔を真正面から覗き込んだ。じっと見つめてみる。鼻筋が通っていて、目元が涼しい。色気が滲み出るようだ。
ガーゼが貼られているのが残念だった。いい男だなあ、とうっかり見惚れる。そのままじっと見ていると、とうとう九子菜が白旗を揚げた。
「……わかった、わかったよ。俺が悪かった。ごめんなさい」
「何が悪かったんですか」
「……なあ、お前、わかってやってる?」
「え?」
「……だよな。そうだよな。おい塁我、竜座腹減ってるからお茶持ってきて」
「ちょっと、九子菜さん何一人で納得してるんですか。僕の疑問は何一つ解決してないですけど」
「まあまあ、茶でも飲みながら。ね、矢崎くん」
九子菜が九鬼の真似をして竜座を呼ぶ。何だか変な感じだった。
「俺は召使のつもりはないんだけど」
九鬼がキッチンから歩いてくる。
そう言いながらも、コーヒーとパウンドケーキのセットがちゃんと出てくるのだ。しかも感動的に美味しいことが約束されている。
「正臣はねえ、恥ずかしいんだよ。矢崎くんの前にいると」
「ええ?」
「おい、余計なこと言うな」
「だってそうでしょ。今じっと矢崎くんに見つめられたから、良心の呵責に耐えられなくなったんだよ」
「どういうことですか?」
「……その傷の理由だよ」
余計わからない。
竜座は目の前のパウンドケーキに手を伸ばし、それを九子菜にフォークごと取り上げられて、「あーん」と言われた。
九子菜に抱え込まれたまま、二人羽織みたいにケーキを食べさせてもらう。何なんだろう。さっきあんなに機嫌が悪そうだったのに。
「そういうことしても、お前の罪悪感が一時的に保留されるだけで罪そのものは一ミリも減らないけど」
九鬼が言う。
「うっせー。いいんだよ、俺は今癒しを求めている」
九子菜が言い返した。
「……よくわからないけど、」
竜座が呟く。
「とりあえず九子菜さんが悪いことをして、それで怪我したんですね」
「その通り」
よくできました、というように九鬼が微笑み、九子菜ががくりと肩を落とした。


要するに話はこういうことだった。
さっき竜座が見かけた男は、九子菜の元部下だったという。
「正臣はあいつと、もう一人女性の部下と、両天秤にかけてたんだよね」
それで部下同士の仲がまさに犬猿で、関係は酷いものだったようだ。
「で、決闘したらしい」
ええ!? と竜座が声を上げた。決闘? 白手袋を投げ合って?
「銃使いと、女性は一般人。それで互角だったらしいよ。だから余計タチが悪い。まあ一応殺さないってルールはあったらしいけど」
と他人事のように九鬼が言う。一般人で銃使いと互角というのがまず凄いが。
「執念だよね。勝ったほうが正臣の恋人の座を手にするってことになってたみたいだけど」
まあ、本人たちの思い込みだから、仕方ないよね。
九鬼さんはどうしてそんなに冷静なんだろう……と思ったが、よく考えてみたら竜座も落ち着いてコーヒーを啜っていた。
どっちもどっちだ。
「それで、俺たちのことがバレて……っていうか隠してないけど。いや、そもそも正臣にそういう理念を求める方が間違いって言うか」
ま、まあ確かに。
ちらりと九子菜に目をやると、明後日のほうを見ている。
反省はしているようだ。
「で、思いっきり殴られたんだよね、正臣くん」
「塁我……お前何か楽しそうなんだけど俺の気のせいか……?」
「え、だって楽しいよ、矢崎くんがドン引きだよ」
そのお兄さん悪いひとだからこっちへおいで、と九鬼が微笑むので、竜座は自然に九鬼のそばへ寄った。
殴られた拍子に、指輪が当たって傷になったらしい。そもそもその指輪も九子菜が買ってやったというのだからそれこそ自業自得だった。
「……昔の話だと思ってたんだよ」
「それは……可哀想だと思うんですけど」
竜座はさっき聞いた彼の足音を思い出した。追い詰められたような、逃げ出したいような、そんな音だった。
もし僕が彼の立場だったら、きっと耐えられない。
「じゃあ竜座は俺があいつに同情でなびいてもいいってのか」
九子菜が謎の反撃を開始した。
「え、嫌です」
断定する竜座。
「それはダメです」
「なんで?」
と九子菜が言う。
竜座はしばらく考えた。
「九子菜さんと九鬼さんは、そういう外部のいざこざと関係ないところにいてほしいから」
そう言うと、九子菜は「ダメ」と言った。
「もっと他の理由考えて」
ええ? 他の?
「俺も聞きたいな」
九鬼までもそんなことを言う。
「もし俺がそういう状況になってたら、矢崎くんはどうする?」
どうする?

「じゃあ二人はどうするんですか、僕がそういうことになってたら」
苦し紛れに質問を質問で返した。
そうしたら、二人は同時に
「「掻っ攫う」」
と言った。

じゃあ、僕もそれで。

 


「二人とも僕のものだから」という本当の正しい答えは、竜座の胸の内でだけ呟かれた。

 

 
































 

 

 


20111001

 















山も落ちも無いよ!
九子菜特務機関爛れてる。
つづく。かも。