饒舌ジャジー






 

 

 


「俺はまだ見たことがないんだけどね」
九鬼さんが言った。
「銃使いの男女が、仮に結婚したとして、果たしてその子供は銃使いになるんだろうか? その子供、彼/彼女は両親と同じ自殺願望を持って生まれてくるんだろうか。だったらそれは不幸というしかない。きっと救いのない人生だろうな。生まれた時から人殺しであることを決定づけられているなんてね。両親にしても同じだ。子供を作ったから、彼らの罪は帳消しになるか? なるわけがない。きっと今まで以上に過酷な生活に追い込まれるだろう。彼らは逃亡を続けなければいけないし、きっと子供にはいろいろな保障どころか、戸籍すら作ってやれるのかどうかわからない。そんな前例はまだないのかもしれない。でもこれからきっとそういう不幸が生まれるはずなんだ」
「それは、悲観的すぎませんか?」
と僕が言う。
「銃使いがどういう原理で生まれるのかは解明されてないんでしょう。その子供が生まれた時から能力を持っていることは必ず決まっているものじゃないんじゃないかな」
「そうかな?」
「はい。だって、小さい子供にそんな意思はないでしょう? 誰かを殺したいほど憎んだり、どうしようもなく絶望したり、そういうことはある程度大きくならないと理解できませんよ。それは後天的に自分で得るものだろうし……。そういう感情が、銃使いを生み出すきっかけだと言われているのは、ある程度正しいと思うから」
僕の場合は少し違ったけれど。
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。答えはまだ見つかってない」
「……メンデルの法則」
「そうだね、必ず銃使いの子供が生まれるとは限らない。でも、俺はその子の精神的な育成過程がとても気になるな」
「……きっと、どっちでも多分、」
銃使いでも、そうじゃなくても。辛いことそのものに変わりはないんじゃないか、と僕は思った。
だって、どんな人生だって、100%の幸せなんて保証されてない。銃使いなんかじゃなくたって、悲劇も差別も絶望も、避けて通るような人生なんかどこを探したって見つからないだろう。
僕はたまたま銃使いになった。多分これは両親の因子は関係していない。きっと九鬼さんだってそうだろう。わからないけれど。突然変異なのだ。僕たちは。
地球人の集団の中で、突然自分は周りとは違うんだと自覚してしまった異星人のように。
「……で、続ける?」
「え?」
僕が見上げると、九鬼さんは困ったようにふっと笑った。
「一応、猶予時間だったんだけどね。矢崎くんが嫌がることはしたくないから」
ああ、それで。全然関係ないことを話し始めたのを、どうしてかなんて考えもしなかった。多分僕は相当テンパっているのだろう。まるで他人事のように思う。
「銃使いの生み出した銃は、3年ほどで消滅する」
九鬼さんが続ける。彼の両腕は変わらず僕の腰の辺りにおかれている。僕は九鬼さんの肩に頭を預けている。
どこからどう見ても、恋人同士みたいだ。
どうしてこうなったんだっけ。僕はぼんやりしたまま九鬼さんの声を聞いている。
「俺はそれがどうしてなのか、ずっと考えてる。銃が消えるところを見たことがある。生み出す時と同じなんだ。さっきまで確かにそこにあった物質が、分解されて粒子になり、溶けるように消える。不思議だったよ。跡形も残らない。証拠隠滅にはもってこいだけどね」
「銃が消える……」
「そう。有効期限があるみたいなんだ。いずれ減衰して掻き消える。どうしてなのか、その期限を誰が決めているのか、誰も説明できない。その物質がどこから来て、どこへ還るのか、今の科学では解明できない」
そんなこと、別に珍しくもないのかもしれないけどね。
仮説は仮説だ。真実じゃない。本当に解明される時は来るのか、誰も知らない。
「それは、解明しないといけないんですか」
「え?」
「解明して、それで銃使いがいなくなるんですか?」
「わからない。でも原理が解明できれば、条件を特定して発現因子を確かめることができる。それも酷い人体実験の上でだろうけど」
「銃使いを生まない世界」
「弾圧とか、規制とか。また増えるだろうね」
「……そういう世界を九鬼さんは見たいんですか」
「いいや。特に興味はないね。だって俺はもう銃使いになってしまったし、もう銃使いでない自分は想定不可能だ。死ぬまでこの能力と付き合っていくしかないんだろう」
死ぬまで。
それは一体いつまでのことなんだろう。
「でも一つわかったことがある」
「……なんですか」
「性的マイノリティであることは、さっき言ったみたいな悲劇を生む確率を限りなく下げることができる」
「……え?」
「矢崎くんと会えてよかったなってこと」
よくわからなかった。でもなんとなくじわりとお腹が温かくなるような気がした。
さっきから九鬼さんの顔ばかり見ている。綺麗な顔だった。綺麗というのはこうやってできているのか、と感心してしまう。きっと何十人、何百人の中からでもはっきりわかる。
僕とは違う。僕は数人の中でも埋没してしまう。
こんなに綺麗だと、銃使いとしては不利なんじゃないだろうかと余計な心配までする。特徴が強ければ人の記憶に残りやすい。
でも九鬼さんは逆にそれを逆手に取って、他人を翻弄しているような気がする。
僕がそうされているみたいに。
九鬼さんの口角が上がって、また笑われた。
「矢崎くん、そんな顔して見つめないでよ」
「……どんな顔ですか」
「すごくキスしたそう」
まずい。バレた、と思った。僕は誤魔化そうとして、下を向く。
そこを掬うように九鬼さんの顔が近づいて来て、至近距離になる。頬が触れる。
僕は銃口を突きつけられている気分になる。さっきとは全く違う、最初に見た時と同じ、火花が散るような感覚。
九鬼さんもそうなんだろうか。わからなかった。
目を開けていられなくて、瞼を閉じたら暗闇の中に火花の残像が見えた。

 


鐘楼の上で、九鬼さんと話をした後、僕はペイペイに呼ばれて自室に戻った。
それからずっと眠れなくて、僕はついにベッドを抜け出した。暗い廊下を通り、ドアを抜けて、僕は地下2階へ続く階段を下りた。
慣れない建物の中で、迷子になりそうだった。
九鬼さんはもう寝ているかもしれない、と思って、ノックを躊躇した。よく考えたら当たり前だ。もう深夜を回っている。僕は何をしに来たんだろう。
よくわからなくなって、しばらくドアの前で突っ立っていた。誰かに見咎められたら、どんな言い訳をしたらいいんだろう。
その時突然ドアが開き、僕は暗い部屋の中に引きずりこまれた。
多分銃口だろう、金属が僕の頭に当てられている。安全装置は当然解除されているに決まっている。
口を塞がれていて声が出せない。その前に僕は完全に怯えきっていた。悲鳴を上げるどころではなかった。
首に腕が回されていて、僕の喉を圧迫している。今すぐ、1秒とかからずすぐに殺せる。赤子の手を捻るよりももっとずっと簡単に。僕は抵抗しない。ただそれが過ぎ去るのを待つ。
しかし数秒経たずに、銃口は僕の頭蓋から離れていった。
「矢崎くん……」
はい。僕です。ごめんなさい、こんな夜中に。
言葉は上手く外に出て行かなかった。空気の漏れたホースのように。僕は深呼吸を繰り返す。
「何してるんだ」
僕は答えられない。僕は何をしているんだろう?
わからない。どうしてここに来たのか。
パチンと音がして、壁に埋め込まれた間接照明が一つ点いた。
その瞬間、僕は膝を折ってへたり込みそうになった。それを、九鬼さんが抱き止めてくれた。
「悪かった。君だとは思わなかったから」
僕は首を振る。悪いのは僕だ。
地面が小刻みに震えている気がする。震えているのは自分自身だと気づくのに時間がかかった。
飯塚繁を目の前にしても、SWATが教室に突入した時も、路上の銃撃戦の時だって、一度もそんな怯えは感じなかったのに。それまで僕はどこか上の空だった。でも今は違う。それは「銃使いの少年」でもなく、指名手配犯でもなく、ただ「僕」を殺すためのシークエンスだった。
自分の息遣いだけが生々しくて、僕は長い息を吐いた。
九鬼さんが僕の手を引いて、ベッドに座らせてくれた。ようやく回りを見回す余裕が生まれる。僕とペイペイの部屋と同じような間取りだが、武器庫のような様相だった。名前を上げるのもくたびれるような銃器の多さだ。それがきちんと手入れされて並んでいる。それから壁を埋め尽くすような本。僕には読めない言語の背表紙も見えた。
九鬼さんは手にしたFNブローニングハイパワーのセフティをかけ、机の上に置いた。
僕は「関係者以外立ち入り禁止」と大書されているような場所に不正に踏み入ったのだ。撃ち殺されてもきっと文句は言えない。
「どうしてここにいるの」
九鬼さんの言葉は冷たくて、僕は「ごめんなさい」とやっと言った。
「君はまだ、……そうだな、『身内』と呼べる仲間じゃない。俺も悪かったけど、でもわかるだろ? 俺たちはいつ切れるかわからない、細い吊り橋を渡っている最中だ。無用心なことはできない」
僕は頷く。その「身内」になることを保留したのは僕自身だ。僕は身勝手だった。交換条件に乗ることは拒否しておいて、先にその中身を確かめようとしている。
でも、本当はそんなことを考えてここまで来たわけじゃなかった。九鬼さんと、話がしたかった。
最初からそれしか考えていなかった。
「大胆だな」
九鬼さんがやっと少し笑った。
「じゃあ、話でもする?」
九鬼さんが言って、僕は頷いた。





*





九鬼さんの唇が僕の顔の輪郭をなぞる。
「つまり俺は、矢崎くんに夜這いされたのかな?」
くくく、と笑う振動が伝わる。僕は憮然として答える。
「……違いますけど、九鬼さんが言うならもうそれでいいです」
「いいんだ」
じゃあそういうことにしておこう、光栄だからね。
僕もつられて笑う。
もう九鬼さんは怖くなかった。僕を抱えてベッドに座っていたから、温度が同じになっている。
「全然逃げないな、怖気づくかと思ったのに」
「逃げるくらいならここまで来てません」
僕はいつからこんなに厚顔無恥になったんだろう。でももう開き直るしかない。
「……俺は全く異論はないんだけど」
じゃあ逃がさないよ、と九鬼さんが言った。


感電しそう。体を巡っている電流が、見えない回路を通って空気に放電してる。多分今あの火花に近づいたら引火するとわかっている。
金属を溶接するときの電極が、目を傷めるくらいの眩いアーク光を散らすみたいに。
素手で触れたら火傷じゃ済まない。
でも触らずにはいられない。
危険と大きな赤い警告が見えているのに、僕はさっきのようにそれを無視した。
何が間違っていて、何が正しいのか、今の僕は判断ができなくなっている。
でも一番危険なドアを選んで、そしてそこを潜り抜け、炉心に近づいた。安全な逃げ場所はもうない。そのことだけがはっきりわかった。
黒い影みたいな、正体のわからない怖いもの。でも僕はどうしてもそれに近づかなくてはいけなかった。
座ったまま九鬼さんの肩に寄りかかっていた僕に、九鬼さんが屈むように顔を落として、視界が閉ざされる。
九鬼さんが僕に触れる。深く口付けられて、喉が鳴る。
キスしたままぎゅっと九鬼さんの首にしがみつくと、がら空きの脇腹を撫でられた。九鬼さんの手。着ていたタンクトップの裾から入ってきて、ぞっと背中がそそけ立った。
九鬼さんとキスしてる。なんだろうこれ、本当に何か爆発しそう。九鬼さんは猶予をくれたつもりで、本当は焦らしていたのかなとふと思う。僕が逃げないことよりも、何をしたいのかを正確に計っていた気がする。
迷ってなんかいなかった。そんな暇は最初からなくて、それを九鬼さんがただ許してくれただけだった。
でも気づいたところで、もうやめられない。
僕はもっと考えるべきだったんだろうか? でも何を? どうせこうしたかったなら、考えたって仕方ないじゃないか。何かを選ぶ余裕なんてない。僕はただ追いかけて走るしかない。
九鬼さんが唇を離して、僕を見た。真剣な表情だったから、僕も九鬼さんを見上げた。
「口、開けて」
九鬼さんが言う。つられて口を開くと九鬼さんの指が入ってきて、僕はそれを舐めた。
「もっと」
長い指が奥に侵入して、苦しい。その間も九鬼さんの左手は僕が反応するところを的確に探っている。
くちゅ、と指を舐めるたびに音が立つ。
「ねえ、俺の首の……そう、カラー外して?」
九鬼さんの神父服。ローマンカラーっていうんだっけ。今手一杯だからって九鬼さんが言う。どうやって外すんだろう、と思っている間も口腔内で指が動いて集中できない。
「ん……、んん」
首元に手を伸ばして、詰襟みたいになっているカラーを外そうとする。手が震える。
「そう、それ引き抜けば外れるから」
言われるままにやってみたらするりと外れて、普通のシャツの襟みたいになった。その下にボタンがずらっと並んでいる。少し気が遠くなった。
「がんばって」
ちょっと笑いながら言われた。もう、本当にこの人は意地が悪い。
聖職のための黒衣を、この人は嘲弄的に身に着けている気がする。それがどうしてそんなに似合うのか、僕にはわからない。ストイックすぎて、それに手をかけるのに罪悪感を抱かせるシステムになっているんだ。頭がぐらぐらするほど自分が興奮しているのがわかって、僕って変態だったのかなと不安になる。
僕の口から指が引き抜かれて、唾液が糸を引いた。
はあっと息をついても、まだボタンは上の三つしか外れてない。もとから器用なんかじゃないのに、今はもっとそれどころじゃない。
その間にも穿いていたスウェットの中に手が当然みたいに侵入してくる。
「う、わ……やめ、」
「ボタン、外れてないよ?」
僕が睨んでも多分全然説得力はないんだろうけど、どうしてもそうなった。
「可愛いな」
やっぱり笑ってる。もう泣きたい。僕は永遠に終わらないんじゃないかと思うボタンの列と戦う。
九鬼さんの指が後ろの入り口にかかって、僕はびくりと肩を揺らす。宥めるようにキス。もう僕がそれで意識が飛びそうになるのがバレている。何も隠せない。
「んぁ……っ」
「リュウザ、」
九鬼さんが僕の名前を呼ぶと、衝動的に身体が震えた。
「犯罪、ってこういうことなのかな」
九鬼さんが言う。
「めちゃくちゃにしてやったらきっと凄く気持ちいい、っていう気がする」
僕にもほとんど聞き取れないくらいの低い声で。
「逃げようかと思ったんだ、君が目の前に現れた時点で。これはまずいって」
九鬼さんの言葉は耳に入るけど、意味まで頭に入ってこない。待って、そんな風に聞き流していい筈ない。
「その通りだった。俺の悪い予感は外れないんだ。本当に嫌になる」
お願い、今大事なことを言わないで。どんな酷いことしてもいいから。
「だから、」
その後の言葉はもう聞こえなかった。
「うあ、あああああっ」
苦しい、とか、痛いとか、そういうのは全部吹っ飛んで、脳裏が真っ白に灼けついた。暗闇で見るフラッシュライト。息が止まりそう。打ち上げられた魚のように浅い呼吸しかできない。
「リュウザ、息吸って」
そんなの無理。できない。制御できない涙がこぼれた。
「大丈夫、ゆっくり吸って、ほら」
言われるままに必死で息をする。息を吸うたびにばらばらになっていたものが少しずつ集まってくる気がした。
何度か繰り返して、息を吐き切った瞬間、さらに奥まで押し込まれた。
「うぁ……っ、」
濁流みたいに背筋を電流が這い登っていくのがわかる。真っ暗なところで見たら放電が見えそうなくらい。
「ふ…あ、あ!」
目を閉じると、大量の液体が目尻を伝って流れていく。
「そんなに泣かれると、小さい子を犯してるみたいな気分になる」
ごめんなさい、でも泣きたいわけじゃないんです。勝手にこぼれてくるだけです。意味なんかない。
「……っは、あっ…」
「リュウザ、こっち見て」
九鬼さんが僕の名前を呼ぶ。さっきから僕の言葉は喉から出て行かない。ただ喘いでいるだけだ。
「……く、き、…さん」
ようやく出た意味のある言葉は掠れていて、まるで1000メートル走を全力でした後みたいだった。
「なに、リュウザ」
耳元で囁く九鬼さんのバリトンは、ストレートに脳髄に響く。酷い。声だけで九鬼さんは僕を殺せる。
「矢崎くん」て呼ぶ時はとても穏やかなのに、今は全然違って聞こえる。滴る毒みたいに僕の中枢神経を侵食してく。
炎に吸い寄せられる蛾のように、魅入られている。きっと今何かを命令されたら逆らえない。完全な支配権の委譲、九鬼さんの強制力は言葉じゃない。そこにいるだけで周囲を支配する。それは僕がただ九鬼さんにイカレているせいだけじゃない。
昼間に見る彼は、殻とか被膜のようなものに包まれている。本当は違うのに、別のものに擬態している。
そのための迷彩、そのための衣装、そのための微笑。
一体その中に何がいるんだろう。
僕はそれを一度知ってしまえば、もうどこにも戻れなくなることをその時まだ知らなかった。

 







……今はいつで、一体夜のどの辺なんだろう。早く戻らないと、ペイペイにバレたら変に思われる。そして多分今の僕は隠しきれない。きっと見つかってしまうだろう。
嫌だ。まだダメだ。
だから戻らないと。
それには物凄い意志の力が必要だった。動きたくない。ここから、どうしても。
でも僕は鉛みたいな体をようやく起こして、床に落ちたタンクトップを拾おうとした。
その瞬間、九鬼さんの腕が僕を掴んだ。物凄い力で、僕は引き戻されてベッドに沈む。
「どこ行くの、」
降ってくる小さいキス、まだ消えない火種、それから骨ごと壊れそうな右腕。
僕は泣きたくなった。
「どこも……行きません。部屋に戻ろうと思って」
「俺を置いて?」
微笑みながら九鬼さんが言う。そんなこと言わないで。だって戻らないと。今戻らなければ僕は多分もう二度とここから出られない。そういう気がした。洒落にならなかった。
嘘でもいいから「ずっとここにいる」って答えそうになる。
こんな気持ちになるんだ。知らなかった。僕は何もかもを知らなすぎて、本当に嫌になる。
「矢崎くんを困らせるのが俺は本当に好きみたいだな」
ごめん、嘘だよって九鬼さんが言って、それから僕の腕を放す。
矢崎くんって呼んだ。
だから僕はもうここから出ないといけない。全部なかったことにして、誰にも秘密にして。
九鬼さんは本当に狡いと僕は思った。冗談みたいに本心を言う。そして本当のことみたいに嘘を吐く。
「嘘吐きですよね、いつも。九鬼さんは」
そんなことないよと九鬼さんが笑う。
もう間違えようがなかった。
僕は、この饒舌な嘘吐きに宿命的に恋をしていた。
身も世もないほど。

 

 


***

 

 


「リュウザ、おはよーっ」
どかっと背中に体重が乗る。僕はぐっと唸って、うつぶせのまま背中にいるペイペイを見上げた。
ちょっと待って、そこは乗らないで、ほんとに待って。
経験したことのない衝撃に頭がくらくらした。
「リュウザ、どうした? どっか痛いのか?」
……痛くはない。いや痛いんだけど。けど本当にごめん今は無理。体がばらばらになりそう。
「リュウザっお前大丈夫か?」
「……う、うん……」
「風邪でもひいたのか?」
「多分……大丈夫……。けど、ちょっと朝食は無理そう……」
「おう、じゃあ俺先に行ってるからな。リュウザも来れそうだったら来いよ」
「ん、」
返事をするのが精一杯だった。ペイペイが出て行くのを見送る。ばたん、とドアが閉じたところで力尽きた。
ペイペイがちゃんと眠っていてくれて、本当によかった、と僕は思った。
朝の光の中では、夕べ見た火花がまるで嘘のように思える。
でも嘘だったと信じるには体が重すぎる。
信じられない。自分の節操のなさというか、後先考えなさすぎだとか、なのに後悔なんて欠片もないだとか、もう何もかも信じられない。
「うう……」
僕はまた唸りながらベッドの中で体を丸めた。
欲しいものはわかったのに、それを手に入れられるのかはわからない。
多分それは手の届かないところにあって、僕はそれが落ちてくるのを待つしかない。
それがわかる前よりも、いっそ辛いような気がする。
でももう昨日より前の僕には戻れないし、それは嫌だ。
後悔なんてしていないのに、僕は昨日までよりもっと臆病になった気がした。
九鬼さんに会うのが怖い。でも会いたい。この部屋を出て行きさえすれば会えるのに。
今あの人に会ったらきっと固まってしまうだろう。そして山茶花さんが変に思うだろう。というか、僕が九鬼さんのところに行ったことも、もうバレているのかもしれない。
わからない。とりあえず、考えても仕方ないことは極力考えないようにした。
もう少しだけ眠ろう。ちょっとだけでいい。
目が覚めて、全部夢だったらどうしよう、お願いだからそうじゃありませんように。
真剣に祈って、僕はもう一度目を閉じた。

















20111016